ブルースに死す

10/4=ジャニス・ジョプリンの命日であります。
彼女の歌声に初めて遭遇したのは、
中学一年の時。
先日も書いたけれど、忘れもしない、
あの『モンタレー・ポップ・フェスティヴァル』の
記録映像をTVで見る少し前。



トコロは。
同級生が通っていた塾。
塾と言っても、大学を卒業して
就職もせず、自宅でブラブラしてる
長髪の兄ちゃんが団地の一室で
ヒマつぶしにやってるようなモノだった。
現代用語に翻訳すれば、ニートだよな。
一応、国語と英語を教えてたような記憶がある。


塾に通っていた同級生から、
「面白い先生だから、一度遊びに来ない?」と
誘われて出かけたのが、今にして思えば
幸運だったのか、不運だったのか。


国語の授業(?)では、
「"別離"と"離別"の違いは?」とか、
「"鉛のような手"と"鉛の手"、
どっちが表現的に優れてると思う?」など、
13歳のガキに向けて、ほっとんど
「テツガク」「ブンガク」しちゃってる
問いを次から次に突きつけてきやがった。
でも、面白かったのは事実。


3回ぐらいゲストとして、
その"塾"に通っただろうか。
ある日。
"先生"が「今日はこれを聴こう」と
一枚のLPを取り出し、
ステレオのターンテーブルに乗せた。
それこそが。
あの名盤『Cheap Thrills』だったのだ。


チープ・スリル

チープ・スリル


一聴してブッ飛び。
何なの、この声は。
男? 女?

そして。
意味はわからずとも、聴いていて、
心の奥深くをナイフでえぐられるような
この痛みはどこから
来るんだろう。


初期ビートルズモンキーズ
エルトン・ジョンカーペンターズ
ラズベリーズぐらいしか
知らなかった(「ソフト・ロック」なんて
形容がありましたなぁ)ガキンチョには、
あまりと言えばあまりの劇薬。
いたいけな中学一年生に、
こんなヤバヤバな音楽を聴かせるとは、
何とまあ、イケナイ"先生"もいたもんだよ。


その日は即、LPを借りて帰り、
家で何度も何度も繰り返し聴いた。
歌詞カードがついていなかったため、
必死になって彼女の言葉を聞き取り、
適当なカタカナで紙に書きつけた。
彼女の伝記『ジャニス - ブルースに死す』
(デイヴィッド・ドルトン、1973年、晶文社、絶版)を
図書館で見つけ出し、むさぼるように読んだ。
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4794951744/ref=sr_11_1/250-1672144-4289020?ie=UTF8
そう。ものの見事にハマっちゃったんである。
ジャニスその人の声に、生き方に、死に様に。


それからほどなくして、TV放映された
上記の『モンタレー・ポップ・フェス』で
初めて「動き、歌う」彼女を見た。
同時にジミ・ヘンドリックスザ・フー
オーティス・レディング等々の
偉人たちにも遭遇しちゃったというワケ。
これがその後の私の人生を変えた?
かどうかは、わからん。
が。普通に結婚して母親になる、
という選択肢を無意識的にせよ、
排除する方向を選んだような気はする。


そうそう。
"塾"では、こんな危険物も聴かされたっけ。


クリムゾン・キングの宮殿 (ファイナル・ヴァージョン)(紙ジャケット仕様)

クリムゾン・キングの宮殿 (ファイナル・ヴァージョン)(紙ジャケット仕様)


その後、手探りでロック街道を歩み始めた私は
自然と"塾"から足が遠のいてしまったが、
あの"先生"、今はどこでどうしているのやら。
とりあえず、感謝してるよ。
ヤバイ世界への扉を開けてくれたことに。