音のリハビリ

jazzydays2018-11-03

明治節
文化の日
兄の誕生日。
実は会ったことがない。
というのも。
生まれてわずか3日で
天に召されたから。
その6年後に生まれた
従弟は何と兄と
全く同じ名を与えられた。
もちろん。
従弟の両親である叔父叔母は
亡兄の名を知らなかった。
もし知っていたら、
早世した子の名をつけるなど
縁起でもないと
考えたはずではないか。
そして。
数十年が経ち、
兄の命日の翌日に甥が生まれた。
不思議な縁(えにし)を
感じずにはいられない。


ロイ・ハーグローヴ
亡くなった?
ウッソだろがよ。
信じない。
いまだに生演奏の鮮烈な記憶と
手元に残された
ボールペン走り書きのサインは
まぎれもなく現実。
たった49かそこらで
逝くなんざ許さねえ。
以下、
当夜の模様を再録。


ブルーノート東京、最前列。
のっけから
会場内の空気をつんざく
鋭角的な切れ味に圧倒される。
恐ろしいほどの集中力。
まさしく。
斬り込み隊長!
寄らば斬るぞ!的な気迫。
唾液が霧状になって、
今にも降りかかってきそう。
演奏が白熱すると、
ロイのコロンの香りが
ふんわり漂ってくる。
はぁあぁああぁああぁあ。
フェロモンですわ。
おそらく。
生前のリー・モーガンを初めて
ナマで聴いた人間は、
きっとこんなふうに
「やられちゃった」んじゃないかな。
トランペットからフリューゲルホルンに
持ち替えてのスローナンバーも、
ロディアスなだけで退屈な
「バラード」に堕することがない。
とにかく。
メリハリがあって、
イキがいい。》


あまりにも。
あまりにも。
長年にわたり
ジャンルを問わず
音楽の魔に囚われ、
淫しすぎたがゆえに
飽和し疲弊し摩耗し麻痺し、
ここ7〜8年ほどは
一切の音楽を心が遮断していた。
No music, no life?
なワケねえよ。
Life still goes on
with or without music.
が。
ここへ来て。
少しずつ。
少しずつ。
生活に音が甦りつつある。
思い出しつつある、
と言うほうが正確かもしれん。


クラシックも。
ジャズも。
ロックも。
今、目の前で生きてる
日本人の音楽を
日本人が聴かずして
他の誰が聴くよ。
それが不肖キツネの原点。
ただ。
かつてはそれが人生の多くを
占めすぎた。
最近Twitterで1日1曲を
紹介しはじめたのは
自分なりのリハビリである。
まっ。
さんっざん
手痛い学習をしたし、
いつまたギブアップするか
わからんがね。