彼岸のヴァイオリン

jazzydays2006-04-01

(前回http://d.hatena.ne.jp/jazzydays/20060331よりつづき)
レオニード・コーガン。
Leonid Kogan
(1924.11.14〜1982.12.17)
彼のヴァイオリンが
醸し出すデモーニッシュな
魅力の虜となった私は、
次から次へと彼の
レコードを買い漁った。
バッハ、モーツァルト
ベートーヴェン
ブラームス
そのどれもが危険
きわまりない劇薬だった。
バッハだろうが、
ベートーヴェンだろうが、
そこから聴こえてくるのは
まぎれもないコーガンその人の音楽。
彼の発するあまりにも強烈な
エネルギーは、作曲家の意図も、
個性すらも、すべて
覆いつくしてしまうのだ。


コーガンのおかげで、私は以前にもまして熱心に
クラシック音楽を聴くようになった。
が、しかし。自分は決して「クラシック」と
呼ばれる類の音楽を愛しているわけじゃない。
ただただ、コーガンの音楽に取りつかれているだけなのだ。
あの小柄な痩身からしぼり出される
地底の冥王の音色。

まるで明日、死んでもかまわない!と
叫んでいるかのように響く。
暗い情念にふちどられた、
聴く者の精神を根底から揺り動かす音。 


決死の覚悟のごとき、切羽つまった印象を与えるコーガンの演奏。
彼のヴァイオリンを聴いていると、鋭利な刃物で
肺腑をえぐられる気になる。
それは聴く者の心を震撼させる。
彼の音色の虜となったが最後、
恐怖と歓喜のシーソーゲームを
永遠に繰り返すはめとなる。

コーガンの音楽を一言で形容するとしたら、
ひたすら「痛い」。これにつきるだろう。


彼は1982年暮れ、心臓発作により58歳でこの世を去っている。
表向きの死因はハードワークが原因の過労、
ということになっているが、KGBとの関係が
必ずしも円満ではなかったらしいコーガン。
謀殺説も噂されている。


下記に1996年、日本のDML(デジタル・メディア・ラボ。
後にトリトーン・レーベルと改名、惜しくも
現在は解散して存在しない)より発売された
『レオニード・コーガン大全集』のライナーノーツより、
彼の最期を描写した部分を引用する。


≪張り詰めた創造的活動は、コーガンの生きがいであった。
そして彼は、いかなる場においても、自分を余すところなく献身的に捧げた。
死は、彼の行く手を比喩的に奪っただけでなく、
文字通りの意味でも奪った。外国旅行
(彼はウィーンでベートーヴェンの協奏曲を演奏した)
から戻ったコーガンは、ヤロスラーヴリでの演奏会に向かった。
「コーガンのある教え子が彼を駅まで送っていきました。
自動車をそばにつけることができず、時間はぎりぎりで、
急がねばなりませんでした。彼が乗車する一号車は、
プラットホームの一番先頭にありました...。
反対側に腰掛けていた目撃者の話によれば、
コーガンは、旅行に持ってきた本を取り出し、
メガネをかけて読み始めました。数分後、
本のほうへうつむくと、目は閉じられました。
車両に、駅員が入ってきました。
駅員はコーガンに近寄りました。
隣の人は言いました。
『邪魔しないでやってください。
ご覧の通り、この方は眠くなられたのですよ』...」≫


擦り合わされた弦と弓の間から、激しい感情の起伏を伴う
音色がほとばしる。目を閉じ、眉間に皺を寄せて
一心不乱にヴァイオリンを弾き込む小柄なコーガンの体は、
青白いオーラのようなものに包まれている。
時折、そのオーラの中で火花がスパークする。
そのたびに、彼の顔を苦痛とも陶酔ともつかぬ
表情が走り抜ける。
私は生身のコーガンに接することはできなかったが、
演奏風景は録画で幾度か目にしている。


あんな弾き方をしていたら、長生きできるはずがない。
彼は生きながらにして、
すでに彼岸の人だったのだ。

そんな彼の演奏を聴いていると、
「怖い。これ以上聴いていてはいけない。」
という警告に似たものを体が発するのを感じる。
両腕は鳥肌立ち、鼓動が早くなる。
脇の下はじっとりと汗ばみ、
喉がカラカラになる。
それでも、聴くのをやめることができない。
彼のレコードをターンテーブルに乗せると、
決まっておしまいまで聴き通してしまうのだった。


特に、眠る前にコーガンを聴いてはいけない。
彼の音楽ほど、安らぎや、くつろぎから
遠いところにあるものもない。
まどろみは断ち切られ、せっかく
就寝態勢に入った頭は冴えわたってしまう。


「寄らば斬るぞ!」的な気迫、
ミューズ(=悪魔?)との丁々発止の駆け引き。
いわゆる「神がかり」とはニュアンスが異なる、
言うなれば「鬼神の降り立つ」命と引きかえの演奏。


彼に教えを受けた藤川真弓の演奏には、
時折コーガンの"断片"を感じることがある。
また、彼が死を目前にした1982年に審査員長を
つとめた第7回チャイコフスキー・コンクール
ヴァイオリン部門で2位を獲得した加藤知子
(1位はコーガンの教え子ヴィクトリア・ムローヴァ)
の情念あふれるプレイも素晴らしい。


切っ先鋭く、ドライアイスのように
「冷たくも熱い」ヴァイオリニストは
他にもあまた存在する。
ソ連=ロシアとは遠く離れたアメリカで教育を
受けた渡辺玲子は、私が最も愛するヴァイオリニストの一人。
超有名ドコロでは、韓国出身のチョン・キョンファがいるが、
彼女の若かりし頃のケンカ腰の演奏ぶりには、
情熱というより、むしろ"恨"(ハン)の
スピリットが濃すぎる感がある。


それにしても。
幼少時、かのコーガンに天賦の才能を見出され、
「今すぐモスクワに連れ帰りたい!」とまで言わしめた
佐藤陽子さんよ。
貴女の現在のザマはどうよ。
お遊びに声楽をやるのもいいでしょう。
生涯のパートナーだった故・池田満寿夫
文化遺産を守るのもいいでしょう。
が、貴女はもはやヴァイオリニストを名乗るに値しない。
草葉の陰で、さぞや恩師はお嘆きでありましょう。


そう遠くない日に、私は恐山へと赴き、
コーガンの「口寄せ」をしてもらうつもりだ。
遺族提供の写真の焼き増しプリントも手元にある。
「そんなもん信じるなんてアホ」と嘲笑したいヤツはしろ!
亡くなった身内の誰一人として、
「降ろしたい」などと夢にも思ったことのない
このアタシが、彼に限ってはそうしたいのだ。
バカにするのは結構だが、邪魔立てはしないでもらおう。
いずれ結果を報告する日が来るだろうよ。




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