レオニード・コーガン頌

jazzydays2006-03-31

レオニード・コーガン。
旧ソ連を代表する
ヴァイオリニスト。その
「魂を削るが如き音色」に
私は長らく心を
奪われ続けている。
残念ながら、存在を知った
時点で、 すでに彼は
彼岸の人であった....。
数年前。モスクワまで
"墓参り追っかけ"を敢行。
http://d.hatena.ne.jp/jazzydays/20080302
おそらくは、このまま
独居老女への道を
爆進するであろう不肖アタクシ。
死期を悟ったら、
自力で動けるうちに
モスクワへ飛び、
彼の墓前でウォッカ
浴びるように飲んで
そのまま凍死するのが長年の願望。


この機会に。
彼の音楽、そして彼その人への思いを
(多少フィクションもまじえつつ)
まとまった形で綴ってみたい。
長くなるだろうし、不良熟女お得意の
「毒舌」も「皮肉」も「悪態」も
からっきし、出てまいりませんので、
ご興味ない方はどうぞ
読み飛ばして下さいよ。


********************


彼岸の音。
それはミューズの完全なる下僕と化した
楽家のみが紡ぎ出すことのできる音だ。
マーラー、ベルク、ショパンチャイコフスキー
彼らが自らの魂とひきかえに手に入れたメロディーは、
どこか、この世ならざる匂いを帯びている。
耳にした音楽が感動を通り越して、
ある種の戦慄をもたらす時。
私はそれを彼岸の音と名づけて一人、悦に入っていた。


音楽の女神ミューズは貪欲だ。
彼女は多くを与えはするが、同時により多くを要求する。
幸か不幸か、彼女のお眼鏡にかなってしまった人間は、
傑出した作品を創造する喜びの見返りとして、
一生を彼女のために捧げつくさねばならないのだ。


演奏家とて例外ではない。表現方法に違いはあれ、
彼らに共通するのはミューズの真言
この世に伝える回路としての能力である。
そして、その能力でもって完全に
私を圧倒し、呪縛した演奏家がいた。
レオニード・コーガン。
彼のヴァイオリンこそは、彼岸の音そのものだった。


初めて彼の演奏を聴いた時の、あの衝撃。
それは中古レコード店で何気なく手に取った
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の
LPを通じてもたらされた。
当時、高校生だった私は音楽好きの父の影響で、
いわゆる名曲と呼ばれるものは大抵、耳にしていたが、
さほど熱心なクラシック・ファンというわけではなかった。
むしろ他のクラスメイトたちと同様、ロックや
ニューミュージックに熱中する
ごく普通の高校生だったと言えるだろう。


コーガンのLPに出会ったのは、
確か冬の中間試験が終わった日の午後だった。
学校からの帰り道、たまたま寄った中古レコード店
500円均一コーナーで、それは私を待っていた。
今となってはコーガンが自分を
手招きしていたとしか思えないのだが、
そのLPは均一コーナーの一番目立つところに置かれていた。

 
古びたジャケットに、すっかり褪色した帯。
そこには筆文字のような書体で大きく
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲」とあった。
私はこの作品が好きだった。
家には父がかなり以前に買ったものらしい
日本人演奏家のレコードがあり、
その甘美で繊細なメロディーには子供の頃から親しんでいた。


私はふと、この作品を別のヴァイオリニストの
演奏で聴いてみたいと思った。
レオニード・コーガンという名は
それまで聞いたことがなかったが、
何よりも500円という値段は魅力的だった。
≪多少、音が悪くてもかまわない。
中間試験も終わったことだし、
今日はこれを自分へのごほうびに買って帰ろう。≫


帰宅して早速、買ってきたLPを取り出し、
ターンテーブルの上にセットした。
第一楽章の耳慣れた導入部が流れ始める。
ソファに身を沈め、リラックスの態勢をとる。
だが、数十秒もたたないうちに私はソファから飛び上がっていた。
一体なんなの、これ? 
プチプチという雑音にまじってスピーカーから
聴こえてきたのは、いまだかつて
一度も耳にしたことのない音色だった。


それは断末魔の獣の叫びのようでもあり、
妖艶な美女のささやきのようでもあり、
捨て子がすすり泣く声のようでもあった。
弦も切れよとばかりに激しく歌われる高音部。
野太く、ゆったりと、たゆたうような低音部。


ヴァイオリンって、こんな音がするものなのだろうか。
ステレオの置かれた洋間を満たしているのは、
確かにチャイコフスキーのあのヴァイオリン協奏曲だ。
しかし、自分が親しんでいるはずのそれとは
全く異なる曲であるかのようだった。
そこには甘やかな叙情性など、
ひとかけらも存在していなかった。    
これはチャイコフスキーじゃない。
このコーガンというヴァイオリニストの演奏は
何かしら禍々しいものを感じさせた。
それは何物かに憑かれた者の演奏だった。  
肌が粟立つのを感じたが、
途中で聴くのをやめることはできなかった。
こうして。
レオニード・コーガンは私の日常に
強引に割り込んで来たのだった。 
(この項次回につづく)


追記。
コーガン演奏による
チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲の
録音は複数存在するが、1950年の
ネボリシン指揮モスクワ放送響との共演盤
(私がコーガンに初遭遇したもの)が
最初にして最高峰の録音である。
かつて何度かCD化されたが、
残念なことに、現在は入手困難。
上記の画像は1959年、シルヴェストリ指揮
パリ音楽院管との共演盤。