マイベスト指揮者

先日、鎌倉芸術館にて素晴らしいマーラー9番を
聴かせてくれたチョン・ミョンフン
世界トップレベルで活躍する現役指揮者の中で、
彼はワレリー・ゲルギエフと並ぶ"My お気に入り"である。


しかし、私が最も愛する指揮者は、
十束尚宏(とつか・なおひろ)。
今も昔も、私の中で彼の"第一位"は揺らいでいない。
初めて彼が指揮する演奏会を体験したのは、
もう十年あまり前だろうか。
時は師走。演目は年末恒例、ベートーヴェンの第九。
「今年は誰の指揮で第九を聴こうかなあ」と
クラシック系のコンサート情報をアレコレ検討した結果、
一度も聴いたことがない十束氏になぜか心ひかれたのである。
「よし、この人で聴いてみっか」と
軽い気持ちで出かけたサントリーホールで、
よもや、あれほどの衝撃を味わうとは、
チケットを予約した時点では予想だにしていなかった。


それまで、さまざまな指揮者やオケで数え切れないほど耳にしてきた第九。
CDだけでも数十枚は所有している。
以前にも書いたが、この交響曲=私にとって「人類最大の発明」なのだ。
十束の第九は、第一楽章からいきなり強烈な
アッパーカットをお見舞いしてくれた。
とにかくテンポが速い。圧倒的な推進力でグイグイ突き進む。
しかし、オケのアンサンブルは全く崩れることなく、
タイトなまとまりで、彼の指揮にガッチリ食らいついてくる。
「な、な、何なの! このスピードは!」
ジョージ・セルか、フリッツ・ライナーか、
トスカニーニか、はたまたムラヴィンスキーか?
と、つい"疾走系"指揮者の先駆者たちが思い浮かんだが、
彼らのようなザッハリヒな切り口とは全く異なる
有機的な温かみが十束の第九には存在した。
(後日、彼がセルやライナーの信奉者であることを知った。)


演奏会後、興奮と感動で火照った体のまま、
ヨタヨタとホールの階段を下りたら、
最後の一段を踏み外してしまい、ロビーで談笑していた
オバサマ集団の中に頭から突っ込んでしまった。
あの晩の強烈な記憶はいまだに色あせていない。
それから、何十回、彼の指揮する演奏会に足を運んだことだろう。
ブラームスチャイコフスキーマーラーメシアン
細川俊夫、新進作曲家の作品初演....etc.、
どこで何を聴いても、一度として裏切られることがなかった
指揮者は、この十束尚宏ただ一人である。
(上記のゲルギエフにガッカリした経験もある私が。)


彼は学生時代、民音コンクール指揮部門で1位を獲得し、
タングルウッド音楽祭にて日本人としては
小澤に次ぐ2番目の クーセヴィツキー賞に輝いた人。
それなのに、上記の民音コンクールで
2位だった大野和士(おおの・かずし)
(ドイツやベルギーの歌劇場監督を歴任!)に
グンと差をつけられてしまった。
現在はアマオケや学生オケを細々と指揮している.....。
彼らは共に1960年生まれで同い年。
十束氏には楽屋に何度もお邪魔して会っているけれど、
あまりに腰が低くて「イイ人」で、確かに押しが足りない感があった。
私が彼のファンになった頃は東京シティフィルで
常任指揮者を務めていた。
彼がヴェルディの「レクイエム」を振るからと、
わざわざ京都まで追っかけしたことも....。
そうそう、彼の第九を聴きに群馬は甘楽郡下仁田の近く)まで
往復9時間かけて日帰りしたこともあったっけ。


十束が東京シティフィルを去って後は、
ベテラン飯守泰次郎がずっと常任指揮者なのだが、
この人、良くも悪くも非常に"政治家"なんである。
東京だけでも片手ではおさまりきらない数のオーケストラが
存在する中、それまでのシティフィルは
NHK交響楽団、東京フィル、東京交響楽団などに比較すると、
どうしても"格下”のイメージをまぬがれなかった。


それが。飯守がアタマになったとたん、
うまくCDメーカーに取り入って(?)LIVE盤をどんどん出すわ、
ワーグナーの歌劇をオーケストラル・オペラと称して
簡素化したステージで連続公演するわ、
あれよあれよという間に、存在感を増してきたではないか!
とにかく「やり手」なのだ、飯守という人は。
(おまけ。現在60代だけど結婚を3回もしてる!)
悲しいかな、十束尚宏には、そのビジネスセンスが
欠けていたのかもしれない。
大野和士も「音楽没頭」系で「私利私欲」とは
別の世界の人物っぽいのだが、きっと
運の波に乗るのが上手いんじゃないかしら。



そう言えば。
チョン・ミョンフンが1974年にチャイコフスキー・コンクール
ピアノ部門で2位入賞した時の1位は
アンドレイ・ガヴリーロフだった。
ゴリゴリの"力技"系ピアニスト。
しかし、今やほとんど名前を聴かないなあ。


十束さーん。
下手なオケばっかり指揮してると、
貴方が思い描く音楽をこの世に体現させることが叶わず、
芸が荒れるし、すさんじゃうよ。
淋しいよぉ。悲しいよぉ。
早く表舞台に戻ってきて下さい。
心から待ってます。愛してます。
そして、貴方が珍しい曲目を指揮する時は
どんなに遠くても追っかけしますよぉ。