烈士逝きて49年

三島由紀夫
逝きて49年。
来年はついに半世紀の
節目を迎える。
今の日本を三島が目にしたら、
はたして何を思うだろう。
自らが命を賭した訴えが
何ら実現されていない絶望か。
はたまた我が国が
つつがなく令和の世を
迎えた安堵か。


振り返れば。
三島由紀夫なくして
現在の不肖キツネは
存在しない。
紆余曲折は省略するが、
かつて。
三島由紀夫研究会に在籍し、
憂国忌の設営を
手伝ったのも今となっては
よい思い出である。
会場に設置される位牌を
抱いたことがある女って、
そうそういないと思うのよ。


昨日は香港区議会選挙。
民主派の圧勝に
舞い上がってる
おめでたい輩が多いけれど、
極端なランドスライド勝利は
危機感を抱かせる。
この流れがいずれ
大陸全体に拡大する可能性は
今のところないだろうが、
もし現実化した場合の
恐怖を考えてみないのけ。


えげつないまでに
生命力に富む十数億の民が
イッキに解き放たれてみよ。
隣に位置する我らが
小さき島国日本はどうなるか。
それを一顧だにせぬ者は
想像力貧困と言うべきだろう。


ぶっちゃけ。
あのモラルなき強欲な民族性に
ギッチギチの管理体制が
効いているおかげで、
かろうじて日本は
息をしているとすら
言えるのである。
現に。
かの国の民に日々、
侵食されてるじゃありませんか。


昨今はびこる自称保守畑の
民主化マンセー阿呆には、
つっくづくゲンナリ
過去30年で世界は
どう変わったか。
東欧・中東の
「その後」から
我々は何を学び、
何を学ばなかったのか。


感情的な脊髄反射
「香港加油!」
習近平国賓訪日反対!」を
唱える人々とは
一線を画したい。
大体。
招いといて「来ないでね」とは、
はなはだ外交上の礼を失するし、
トランプを国賓で迎えたのに、
習を蹴るのはメンツ第一の
中国にとって、
どんだけ恥辱となることか。
米中両天秤が残念ながら、
かよわい日本の生きる道。


さらに。
黒電話に唯一デカイ顔できる
プーさんと接点を保っておく。
拉致被害者奪還につなげる、
という意味を忘れるなかれ。
独裁者を皇居に入れるな?
天皇陛下の御稜威(みいつ)は
プーごときに会った程度で
何ら影響など
受けるものではない。
そんな懸念こそ、
不敬というものだろう。
まっだまだ書きたいが、
今回はこのあたりにて。
じゃあな。