反ダイエット・モーツァルト

jazzydays2014-06-25

ジャンルを問わず、
音楽全般に食傷しており、
自ら進んで聴こう、
なんぞツユほどにも
思わなくなって久しいのだが。
先日めっずらしくEテレで
モーツァルトの「ジュピター」と
マーラーの「巨人」を視聴。
指揮は新進気鋭の
ヤニック・ネゼ=セガン
オケはフィラデルフィア管。
ビジュアルで見ると
コンサートマスター以下、
ずいぶんとアジア系の楽員が
多いんで驚いた。
そんだけクラシック界を
アジア系が席巻してきている証左なんだろう。
オーマンディの頃とは隔世の感。


で。
「ジュピター」だ。
せっかく輝かしい音色を誇る
大オーケストラなのに、
ピリオド派を意識してか、
小編成でチマチマ演奏。
もったいない。
まぁ軽やかで清々しかったっすけどね。
でもね。
いやしくも「ジュピター」だぜ。
全知全能の神、
オリンポスの統率者、
ゼウスのことなんだよ。
あまりにもライト過ぎやぁ
しませんか、っての。


元々ワシは、
ピリオド派(いわゆる古楽器
ノンビブラート系)が嫌いだ。
なるほど、出てくる音は
作曲家存命当時の再現に
近いのかもしれん。
しかーし!
ダイエットしすぎて
骨までスッカスカになっちゃったような
モーツァルトベートーヴェン
聴かされても、ちーっとも楽しくねえ!
ってことで。
以前に書いたコチラを再掲しとく。
http://d.hatena.ne.jp/jazzydays/20060121
モーツァルトが現代に生きていたら、
きっと喜んだに違いないであろう演奏。
大時代的と批判されようが、
そーゆー輝かしく力強い音を
聴きたいもんである。
それがフィラデルフィア管ならば、
なおさらだ。


「巨人」はマーラーだけあって
もっちろん大編成。
堂々のシリアス重厚演奏を
期待したところであったが、
これまた若々しくフレッシュ、
スピーディでダンサブル(笑)。
まっ、これはこれでイイんじゃね?
何たって「曲勝ち」っすから。
ベートーヴェンの第九と同じく、
原曲が素晴らしすぎると、
んもう、どんな解釈にも
崩壊することがないんである。
プロ中のプロの名演奏は
当然のことながら、
たとえアマオケの下手な演奏であっても
それなりに感動しちまうのよね。
ひっさしぶりに聴いたマーラー
素直に胸に響いたわ。
もはやかつてのように
演奏会三昧の狂える日常に
戻ることはないと断言できるが、
まかり間違って今回みたいに
ついつい聴いちゃうとしたら、
ロックやジャズではなく、
クラシックか昭和歌謡だろうな。