平家名・龍宮天女

jazzydays2014-05-06

年末年始は全くブログを
更新できなかったが、
インディー巫女としての
行事は一応滞りなく行った。
冬至にはカボチャを煮て
ユズ湯につかり、
晦日煮しめを仕込み、
晩飯=年越し蕎麦。
おせちこそ作らなかったものの、
年明け三ヶ日は御屠蘇&雑煮。
3日には初詣&三日とろろ。
7日は七草粥
11日は鏡開き。
2月3日は節分豆まき。
2月4日は王子稲荷神社に立春・初午詣で。


こーゆー行事は単なる迷信ではない。
加門七海氏の言う通り、
年間行事に当たる日は
時空間のスキ間。
黒々とした「魔」が
入り込みやすいがゆえ、
やらないよりは断然、
やったほうがイイ。
新暦旧暦どちらでも可。)


そのかわり。
クリスマス、
バレンタインデー、
イースター
一切関知いたしませぬ。
いずれも元々は
切支丹以前の風習。
それを換骨奪胎した
土足侵略っぷりが許せない。


文化的眼鏡の存在を認識せよ。
果たして切支丹に
不動明王の姿が見えるか?
羽の生えた天使なんちゃら、
は日本人のDNA(民族集合無意識)
に訴えかけるか?
そりゃ天狗じゃないのけ?
西欧人の心眼に映る(?)
座敷わらしは、
フェアリーあるいは
ゴブリンと翻訳されるやも
しれぬではないか。


宇宙人とか
宇宙的意識体とか、
ある種の個性を持つ高次存在を
チャネリングすると
自称する人々を
信用する気になれないのは、
ひとえに彼らが
己の個人的無意識が
もたらす情報(=直観的蓄積記憶)と
アカシック・レコードとを
区別していないように
見受けられるからである。


蟻に八代亜紀のコブシが理解できるか?
(できたとしたら失礼!)
それと同様、
不肖キツネに神学は無用。
かのエリック・パールに
情報をもたらすソロモン
(これとて特定のパーソナリティを意味せず、
あくまで便宜的な名前・存在である)が
いみじくも語るように、
That Which Is、
All That Isとしか
呼びようがない「アレ」は
まさしく人間にとって
翻訳しようのない、
途方もなくバカデカイ存在なのだ。


Solomon Speaks on Reconnecting Your Life

Solomon Speaks on Reconnecting Your Life


リコネクティブ・ヒーリング、
リコネクション、
DNAアクティベーション
通じて感じた
「あの光」「あの力」は
決して人間ごときの脳で
翻訳できるものではなかった。
それゆえ、
当・古ギツネに時たま
降りる(?)龍宮天女とは
あくまでも仮の源氏名
(ってか平家びいきのワシは
 平家名と呼びたいが)
なのである。
画像は端午の節句の菖蒲湯。