アーサー王伝説ジャーニー

jazzydays2010-08-01

あの時。
あの映画を見なかったら。
きっともっと違う方向に
進んでいただろう。
運命の映画、と呼ぶには
いささか大げさだが。
その後の生き方に
多大な影響を与えたことは
確かである。


ジョン・ブアマン監督
エクスカリバー」(1981年)。
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD1132/
舞台は5世紀後半ブリテン島。
題材はアーサー王伝説
あの膨大な史実&物語の中から
主要なエピソードを
コンパクトながらも
ほとんど網羅しており、
本作品をしのぐアーサー王映画は
今のところ存在しないのでは
ないだろうか。



23歳の秋。
最初の勤務先を退職した私は
初めて英国に飛んで
2ヶ月滞在し、
その間にアーサー王ゆかりの
土地をあちこち訪ねた。
ウィンチェスター。
ドーヴァー。
ティンタジェル。
グラストンベリー


インターネットなど
なかった時代だし、
日本語による
アーサー王関連の書籍は
子供向けの物語が
ほんの2、3冊
出ているきり。
交通手段を調べたり、
移動ルートを練るのは
それはそれは大変だった。
しかし苦労が多かったぶん、
今でも細部にわたって
それぞれの土地の
たたずまいを思い出すことができる。


当時の日記をもとに
その旅を再現しようと思う。
実は当ブログを開始してから
長いこと温めていたのだが、
なかなか実行に移せぬままに
5年もの月日が流れてしまった。
今こそ我が永遠のヒーロー、
アーサーを自分なりに「供養」したい。


交通手段などは
当時とかなり変化していると
思われるので、
実際に旅を計画される方は
最新の情報を入手して欲しい。
なお、現地で撮影した写真が
手元にないため、
以下に使用した画像は
すべてネット上から
拝借したものであることを
ここにお断りしておく。


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[19xx年9月24日]


今日はウィンチェスター(Winchester)に行ってきた。
中世の雰囲気をたっぷり残す美しい街。
まず14世紀に作られた
アーサーの円卓(round table)
を見にGreat Hallへ。



テーブルは床に置かれているものと
思い込んでいたら、
何と壁に吊してあった。
緑と白に交互に塗り分けられ、
24人の騎士の名が書かれていて
アーサーが真ん中に座っている絵が
描かれている。



このホールは10世紀か11世紀頃に
建てられたWinchester Castleの
ただ一つの名残りだそうである。
あとWolvesey Castleというのもあったらしいが、
今では城壁ぐらいしか残されていない。
すべてクロムウェルらによって
ぶちこわされてしまったのである。
クロムウェルは王政を嫌悪するあまり、
王室に関する宝物や建造物を
次々に破壊したらしいが、
全くもったいないことだ!


次にこれまた中世そのままの
West Gateを訪れる。
昔は牢獄として使われていたそうで、
何となく暗い雰囲気。



中はMuseumになっていて、
ここのおじさんはとても親切に
Cathedralへの行き方を教えてくれた。
ありがとう!
屋上へ出ると中世当時と同じ場所にある
High Street(目抜き通り)を
見下ろせる。
屋上の壁面はいかにも古く、
崩れかかっているのが時代を感じさせた。

その後、およそ900年前に
建てられたというWinchester Cathedralで
Jane Austinの墓を見たりした。




Winchester Collegeの横を通り、
川辺を歩く。
反対側は延々と連なる中世の城壁だ。
ヒルがたくさん川にいて
がぁがぁ言っていた。
次にSt.Giles Hillに登り、
そこからWinchester市街を見下ろした。



この頃から雨がひどくなる。
雨に濡れつつ丘を降り、
High Streetを下ってCathedralを過ぎ、
Winchester City Museumへ入った。



さして期待していなかったのだが
なかなか面白かった。
とりわけ2階にある18〜19世紀頃の
薬屋とタバコ屋がそっくりそのまま
実物を使って再現されているのなんか最高。


今日もアジア系にもアフリカ系にも
全く会わない1日だった。
でも駅のスタッフとか、
皆やさしい感じだったので
とてもよかった。
もっと多くの人に訪れて欲しいステキなところ。
Great Hallの記載帳のNationalityを
書くところは、ほぼイギリス・アメリカが
多くを占めていて、
日本人はぜーんぜんいなかった。
本当に私くらいだったみたい。


[19XX年10月7日]


カンタベリー(Canterbury)から列車で
ドーヴァー(Dover)へ向かった。
Dover Priory駅で降り、
さあドーヴァー城へ行こうと思うのだが、
地図も何もなく、矢印の標識もなく、
一体どちらへ向かって歩けばいいのか
全くわからず一瞬、途方に暮れたが、
駅のinformationで聞くと
タクシーで行くのが一番いいだろうと教えてくれた。
そこで駅前から10分ほどタクシーで
ひとっ走りしてDover Castleに無事到着。



想像していたよりはるかに堅固で、
そしてかなりの規模でびっくりした。
もっとぼろぼろかとおもっていたが、
外見はウィンザー城にも劣らぬ見事さだ。




ずいぶんと高台にあり、
下はすぐ海、ドーヴァー海峡である。
イギリスに来てから初めて海を見た。
あのドーヴァーの白い崖も
少しだが見ることができた。



天気がいいとフランスが見えるらしいのだが、
今日は冷たい風が吹きすさぶ曇り空で
あいにく見えなかった。


ドーヴァー城には円卓の騎士Gawainが
眠っているという話が物語には出てくるが、
それらしい場所はなかったな。
まあ時代的にも大きくずれるし、
もしGawainが実在したとして、
ここに葬られたとしても、
当時(5〜6世紀)と同一の
建造物ではないのだしね。


さて、問題はどうやって帰るかだ。
行きはタクシーで楽だったが、
帰りは歩かねばならない。
あまりに敷地が広いので出口がまずわからず、
ぐるぐる歩き回ってしまい、疲れた。
やっと入口に戻るが、そこから先、
どちらへ歩いて行けばいいのか皆目わからない。
ちょうど犬を散歩させている女の人がいたので、
たずねることができた。


市内に戻ってからは十代の女の子二人連れに
たずね、やっとのことで
Dover Priory駅にたどりついた。
地図がないというのは本当に大変なことだ。
たいていの観光名所なら、
地図なしでも行けるように
青い矢印の標識がいくつも立っているのにな。


[19XX年10月12日]


とうとうティンタジェル(Tintagel)に
来てしまった。
10:25分発の列車に乗って
Plymouthに着いたのが13:30ちょっと過ぎ。
早速、街の中心部(City Centre)へ向けて
歩き出し、Tourist Informationを見つけて
Tintagelへの行き方をたずねるが、
バスで行くという以外くわしくわからないし、
バス自体も本数が少ないため
バスの案内所で聞いたら、とのこと。


言われた通りに行って聞いてみると、
Tintagelはかなり遠いから、
coach station(長距離バス発着所)に行けと言う。
coach stationがどこだかわからず、
とりあえずPlymouthの駅まで戻ってみようと
歩き出したら、またまた方向音痴の病気が出て
ぐるぐる迷ってしまった。
乳母車を押していた女の人にたずねて
やっと駅に戻り、British RailのTravel Centreで
聞いてみると、駅の真ん前にバス停があった!
しかし!
何と1日に1本しか出ていないという
おそろしさ。
バスの出る16:40まで駅で
ひたすらずーっと待つ。
大理石みたいなイスが冷たかった。
ようやっとバスに乗り、
約2時間でTintagel到着。


途中、いくつかの町を抜けたが、
町と呼べるようなところはまだよい。
その他のバス停は、こんな場所で降ろされたら
一体どうなるのだと思うような
何もないところにあり、おそろしい。
前に増田さん(元職場のアルバイト嬢)が
イギリスの田舎をドライブするのは、
もし車がこわれたら死ぬかもしれんような
辺鄙なところが多いのでコワイ!
と言っていたが、納得。
ところどころ、ぽつぽつと工場
(「こうじょう」ではなく「こうば」)のような
建物があるだけで、あとは
ゆるやかな丘陵地帯。
畑があり、牛がいるだけで、
ほんっとに何もないのだぜ。


Tintagelがこんなところだったらどうしよう、
どこにも泊まるところがなかったらどうしよう、
と不安に思いつつ景色を眺めていたが、
大丈夫でした。
ちゃーんとホテルもB&Bもある。
バスからチラッと見えたB&Bにいきなり
アタックしたのだが、当たりだった。
とても可愛らしい部屋(ツイン)で
ベッドにはコアラのぬいぐるみが
置いてあったりして感激。
おかみさんはRenee、
だんなはPeterといって
とてもフレンドリー。


日本から来たと言ったら、
2、3年前に日本の紳士が泊まったことがあるそうな。
アーサー王伝説にとても興味があると言うと、
以前に滞在したアーサー王研究家の
作った地図を見せてあげようと
わざわざ出してきてくれ、
その人の住所まで教えてくれた。
ここに泊まったと言って
手紙を出したらいいよ、と。


ロンドンでは考えられない
にこやかであったかい
もてなしを受けて感激。
と同時に、何とはるばる遠いところまで
来てしまったものよ、と思ったら
しばらく泣けた。
とにかく、ここはアーサーの土地なのです。
かすかに海の音が聞こえてくる。
泊まっているのは私一人のようだ。


[19XX年10月13日]


今日はついにTintagel Castleに行ってきた。
こちらではKing Arthur's Castleと
呼ばれることが多いようだ。
おかみさんが親切に地図を描いてくれ、
それに従って、まず11世紀に建てられた
Parish Churchに行く。
そこから丘を下っていくと、
向こうにCornwallの荒々しい波に洗われながら
城のある巨大な島が現れる。
しかし、ここからTintagel Castleに
たどりつくまでが大変だった。


人間が踏み固めてできたfootpathしかないし、
ごつごつした岩の段を降りてゆかねばならない。
そして100段以上もある階段をまず下り、
さらに100段以上を上る。
岩の階段は「not even and slippery」と
注意書きしてある通り、
急で滑りやすくてこわかった。
それでも!
ついに崩れた城の名残りを目の前にして感動。



しばらく城(の廃墟)周辺を
歩き回っていると、ぽつぽつと雨が降り出した。
そして、見る間にざあざあと大雨になってしまった。
私は声に出してアーサーに呼びかけた。
(まわりに誰もいなかったし。)


「Arthur,Arthur!
I have come all the way from Japan to see you.
Stop the rain for me.
Stop the rain and bring on the sunshine!」


と、しばらくすると風もひどく強かったせいか、
雨雲はどんどん追いやられ、
青空が見えてきたではないか!
すぐに陽が射してきた。
ああ、聞いてくれたのねアーサー。


いわゆる夕立だったようなのだが、
そのあと、岩肌が濡れて滑りやすくなり、
地面はぬかるんで、転ばないよう
かなり気を使った。
城の下へ続く階段を降りると、
そこはマーリンが幼いアーサーを
連れてきたという洞窟Merlin's Caveがある。
幸い、波がそこまで来ていなかったので
中に入ることができたが、
白い泡がぶくぶくうごめいている様子は
一瞬、生き物のように見えて不気味だった。



城からvillageまで戻り、
別の海岸線のほうまで行った。
Barras Noseというところ。
風がものすごく強くて、
崖っぷちまで行くのはやめにした。
本当に海に飛ばされそうだったのだ。



villageは小さいが、
B&Bはかなりの数がある。
店はどこもアーサーにちなんだ名前ばかりで、
私には天国みたいなところだ。
Tintagelの住民はアーサーで食っているのだね。
立ち寄った土産物店で
アーサー関連の本を5冊(!)と
バッジ、しおりを買った。
店じゅう買い占めたいくらい
アーサーに関するおみやげばかりで、
本当に天国。
お昼には本場もんのCornish PastyとShandy。


そのあと、14世紀のOld Post Officeを見て、
最後にKing Arthur's Hallというところに入った。
ここは信じられない!
いい意味で信じられない!
Frederick Grasscockという大金持ちがいて、
Tintagelにやって来てから
アーサー熱に取り憑かれ、
ついにこのHallでCamelotを再現してしまったのだ!
広々とした内部にはRound Table
全部で3つ(うち2つは木製、1つは石材)あり、
謁見の間というのか、
教会のような広間にはアーサーの玉座
奥にしつらえてあり、
無数の木製の椅子が並べられ、
窓は美しいステンドグラスで飾られている。



壁はアーサー伝説の絵でいっぱいで、
本棚はアーサー関係の古い書物で埋まっている。
Grasscock氏は航海中に亡くなったそうだが、
このすさまじい熱意には感激した!!!


Cornwall地方の人々は
人なつっこく、旅人はどこでも温かく
迎えられると聞いてはいたが、
全くもって真実であった。
こんなことってあるんだな。
出会う人、出会う人、
明るくやさしい人ばかりで、
ロンドンでは到底味わえない善意と親切に
この小さな村が満ちているのである。



[19XX年10月15日]


今日は、ああやっと
Isle of Avalon、かつて島であったという
グラストンベリー(Glastonbury)に行ってきた。
BathからバスでWellsまで1時間20分くらい。
Wells Bus Stationで乗り換えて
Glalstonburyまでは10〜15分くらい。
ド田舎にあるのかと思っていたら、
Woolworthもあるtownであった。
しかし到底、cityではない。
Bathなどよりはググッと田舎。


まずTourist Informationへ行って
(こんなところにもちゃんとinfoがあった!)
親切なオバサマにいろいろと
AbbeyやTorの行き方を教わり、
ガイドブックも買った。
早速、アーサーの眠る(といっても今は
墓の跡しか残っていないが)
Glastonbury Abbeyへと出向く。
16世紀の解体によるすさまじい破壊の爪痕。
それでも廃墟と化したかつての大聖堂は
重々しい迫力で迫ってくる。





再現されたモデルを見ると、
Canterbury Cathedralほども
あっただろうと思わせる規模。
実際、Glastonburyはアリマテアのヨセフが
聖杯を携えてイギリスに初めて
キリスト教を持ち込んだ神聖な土地と
見なされており、ここからCanterburyの
司祭に育った者も何人かいるのだ。


アーサーの墓は元々Lady's Chapel付近で
発見されたものを今の場所に
13世紀に移したもので、
16世紀のAbbey解体までは
確かに存在していたらしい。




それ以降、アーサーとグウィネヴィアの遺体は
一体どこへ行ってしまったのか。
が、墓の跡を目の前に見るだけでも
感慨深く、立ち去りがたかった。
5円玉をひそかに土に埋め込んできた。
あと、池の中にも投げ込んできた。
アーサーと私に今後も縁があるように。


ここにはアリマテアのヨセフが植えた
Holy Thorn(聖なるイバラ)の名残りがある。
元の木は掘り起こされてしまったらしいのだが、
わずかな枝から根を張って
今なお生きているのである。



お昼にSteak&Kidey Pieを食べてから
聖杯が隠されているという伝説のある
Chalice Wellへと向かった。



Chalice Wellの水は病気に効くと言われている。
鉄分の含有量がものすごいらしい。
果てしなく水がこんこんと湧き出ており、
流れる水路は鉄分のせいか、
赤茶色なのだ。
この色はキリストの血の色と
結びつけられている。




Wellのふたに耳を近づけると
さわさわと水の流れている音がする。



ここからGlastonbury Torまで
footpathをずーっと歩く。




息切れがしたが、ようやく丘のてっぺんに着いた。
眺めはすばらしい!
羊や牛がたくさんいてのどか。
ふんがあちこちに落ちているのはいただけないが。
それにしても美しい田園地帯。
St.Paul'sから見下ろしたロンドンなんて
クズに思えてくる。
Torの丘も含めて他にもいくつか丘があり、
以前、島だったのかと思うと
不思議な感じがした。
何とGlastonbury自体が巨大な迷路で、
しかも上空から見れば12の星座を
表しているという説さえあるのだ!
http://www.isleofavalon.co.uk/avalon-zodiac.html
何ともミステリアスな土地ではないか。
そうしたテーマを扱った本も多く、
また8冊(!)も買ってしまった。


Torから下ってきてから
Rural Life Museumという
Somerset地方の農業に関する博物館に
行ったが、これは面白くなかった。



帰りのバス停にモヒカン頭のpunkがいたので、
Glastonburyにもpunkがいた!と
変に感動した。
しかし、さすがに田舎町なので、
通り過ぎる人は皆びっくりしたり、
にやにや笑ったりしていたが。
Wellsでまたバスを乗り換えてBath行きに乗ったが、
行きと違う系統に乗ったらしく、
景色が実にさまざまに移り変わり、
とても楽しかった。
もう2度と見ることはないだろうと思っていた
Stonehengeも見えたし、



お椀を伏せた形の人工の丘、
Silbury Hillも見えた。



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以上をもちまして。
アーサー王伝説ジャーニーは
ひとまず終了。
繰り返すが、
交通手段やルートは
当時とはかなり異なっていると
予想されるので、
実際に旅を計画される方は
最新の情報を入手されたい。
23歳の私と共に
旅をして下さった皆さん。
ありがとう。
無事に「供養」もすんだことだし、
さあ、また会いに行くぞ。