ASC『タイタス・アンドロニカス』

jazzydays2007-11-25

長年敬愛する
シェイクスピア俳優
兼演出家、
彩乃木崇之氏率いる劇団ASC
(Academic Shakespeare
Company)
『タイタス・アンドロニカス』
男優オンリー・バージョンを
川崎ファクトリーにて観劇。
主な配役は。
タイタス、菊地一浩。
タモーラ彩乃木崇之
アーロン、戸谷昌弘。



このたびは。
通常、彼らが根城とする
銀座みゆき館を離れ、
京浜工業地帯真っ只中の
アートスペースにおける
実験的な試み。
正直、交通のアクセスがメチャ悪く、
タクシーの運ちゃんと
「ああだ、こうだ」と迷いつつ、
たどり着くのに一苦労。
それでも。
確かに銀座みゆき館では
およそなしえない
スペクタクル性を存分に
堪能できた舞台であった。


演出を一貫して
流れる基調カラーは赤!
床に敷きつめられたシートとバラ、
最後の晩餐(?)における料理、
そして。
言うまでもなく、
劇中でおびただしく流される
血のイメージ。
しかし、彩乃木氏自らが
ブログで述べているように
決して「グロ」な印象ではない。
http://d.hatena.ne.jp/ayanogi/20070916
血で血を洗う復讐劇でありながら、
毅然たる「美」が存在する。


開幕直後は
展開が相当にスピーディーで、
ストーリーをあらかじめ
知っている人間でないと
理解しづらいか?
と感じなくもなかったのだが。
中盤にさしかかるにつれ、
そんなチンケな懸念は
吹き飛んでしまった。


主人公タイタスには
凄惨な復讐をなしとげるべき
大義と仁義がある。
宿敵タモーラにも
同じく大義と仁義がある。


劇中を縦横無尽に動き回り、
登場人物たちを
翻弄し、撹乱させるアーロンは
単なる極悪キャラで終わっていない。
まさしくユング心理学で言う
トリックスターだ。


最終幕、宴のシーンで
ステージを取り巻くように配置された
観衆をそのまま劇中の列席者に
巻き込んでしまう演出手腕も
見事という他はない。
我々は客席に安穏と
座っているワケには
いかなくなり、
強制的に登場人物に
させられてしまうのだ!


原作を読み返してみると、
あらためてこの作品が隠し持つ
キーワードの意味深さに唸らされる。
「黒」「手」「蠅」。
とりわけ。
皇后タモーラの寵臣アーロンが
己の黒い肌色を形容する
場面場面のセリフが印象的だ。
以下、小田島雄志訳より抜粋。


≪ああ、この悪事、
 思っただけでも
 ぞくぞくするほど楽しいや。
 善をなすは阿呆まかせ、
 慈悲を願うは善人まかせだ、
 アーロンの魂が顔同様に
 黒いってことは是認するぜ。≫
 (第三幕第一場)


≪黒はそんなに卑しい色か?
 (中略)
 漆黒というのは
 ほかのどんな色より上等なんだぞ。
 ほかの色に染まるのを
 いさぎよしとしない色なんだ。≫
 (第四幕第二場≫


ついでに。
アーロンが口にする
それこそ
「ぞくぞくするほど」
セリフを2つばかり。


≪仲間として手を組めば
 あたしはおとなしい子羊だ、
 だが敵にまわすと
 このムーアは怒れる猪、
 山奥のライオンだ、
 逆巻く大海原もアーロンの
 嵐にはかなわない。≫


く〜っ。
シビレルねえ!
でもって。
トドメはコレよ!
捕われの身になった後、
「犯した凶悪な行為の数々を
後悔していないのか?」
と問われて
切り返したタンカ。


≪後悔はしてるよ、 
 もっとやりゃあよかったってな。
 (中略)
 おれはこれまで何百何千って
 悪事を働いてきたが、
 喜び勇んでやったもんだよ、
 人が蠅を殺すように。
 いまおれが本心から残念に思うことは
 ただ一つ、何千何万って悪事を 
 これでやれなくなるってことだ。≫
 (第五幕第一場)
 

≪悪魔ってものがいるなら
 おれは悪魔になりたい、
 永劫の炎のなかで
 焼かれながら生きていたい、 
 そうすりゃあ
 あんたがたを地獄にお迎えし、
 おれの毒舌でさんざん
 いたぶってやれるからな。≫
 (第五幕第一場)


何ともまあ。
心の底から
惚れ惚れする
タンカだぜ。

イアーゴーしかり、
エドマンドしかり、
リチャード三世しかり、
シェイクスピア作品中の悪役って、
どうしてこんなに
魅力的なんざんしょ。
願わくば。
私もアーロンになりたいね。
あくまでもタモーラではなく。


タイタス [DVD]

タイタス [DVD]