撃てばかげろう

jazzydays2007-10-21

野村秋介
死して14年。
あろうことか。
命日の翌日である今日、
彼が自決の場所に選んだ
新聞社のセールスが
我が家を訪れた。
ざけんじゃねーよ。
もちろん。
ドアも開けずに撃退。
http://tetsusenkai.net/members/0015kurouri/nomura/


昔々。
まだまだ
私が青々しかった頃。
サヨクに憧れて、
太宰にシビレて、
「弱者革命」なんぞを
夢見てた当時。
あの新聞は
茶の間に、食卓に、床の上に、
当たり前のような顔で
存在していた。
バッサリ斬っちゃってから、
サービスの歌舞伎座招待券が
もらえなくなって、
ちょっと(いや相当に)困ったんだが、
思想と美学ってぇのは。
そうそう曲げられませんから。


野村氏の著書は数多いが、
その語録で忘れられないのが
以下に引用する一文。


≪私は寺山修司
 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし 
  身捨つるほどの祖国はありや」
  という詩と十数年にわたって
  心の中で対峙してきた。
  そして今「ある!」と
  腹の底から思うようになっている。
  私には親も妻も子も、友もいる。
  山川草木、石ころの一つに至るまで
  私にとっては、すべて祖国そのものである。
  寺山は「ない」と言った。
  私は「ある」と言う。≫


野村氏はヤクザ崩れの
任侠右翼だと
軽んじる向きも多い。
それでも。
私は好きだった。
彼自身は自分を「浪漫派」と
呼んで欲しいと願っていた。


ここ数年はすっかり
御無沙汰しているが、
命日に催される『群青忌』で
海ゆかば」を大斉唱したり、
墓所のある伊勢原
浄発願寺(じょうほつがんじ)に
お参りしたこともある。
墓前には
「闘い地蔵」と
「恋地蔵」が
並んで立っている。


野村氏のユーモアあふれる一面を
ちょこっと紹介しておこう。
ある酒席にて。


「オレは頭のてっぺんから爪先まで
  ヴェルサーチだが、
  パンツだけは福助だ!」


と、のたもうた彼。
いきなり立ち上がって
ズボンを下ろし、
その証拠を見せたそうな。


現在の日本を見たら、
野村さんはどう思うんだろうか。
もう聞けないけどな。
聞いてみたいよな。
勝手に想像を巡らせながら、
淋しく一人酒を傾けるしかない。


撃てばかげろう [VHS]

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