フォロ・ロマーノ

jazzydays2006-12-24

あらら。
気づいたら
もう日付が
変わっちゃったのね。
今日は誕生日と同じく、
家にひきこもり、
物忌みをいたします。


先日、観劇した
ジュリアス・シーザー』の
余韻がいまだに残っている。
数年前、ローマを訪れた際、
彼を火葬に付した場所に
花束が供えられているのを見て、
「ああ、シーザーってホントに実在したんだ!」と
生々しい感慨に
とらわれたことを思い出す。


何度も書くけれど、
シェイクスピア作品中、
コレは私が根っから愛してやまないモノだ。
何と何と輝かしい名言のオンパレードであることか。
中でも、シーザーを自ら手にかけた後の
ブルータスの台詞には胸が打たれる。


≪だれかシーザーの親友をもって任ぜられる人が
おられるなら、私はその人に言おう、
ブルータスのシーザーを愛する友情はその人に
いささかも劣りはしなかったと。
またもしその人が、ブルータスのシーザーを倒した
理由を聞きたいと詰問されるなら、私はこう答えよう -----
それは私がシーザーを
愛さなかったためではない、
それ以上にローマを
愛したためであると。

どうだろう、諸君はシーザー一人生きて
すべての諸君が奴隷として
死んでいくことを望むだろうか、
シーザー一人死んですべての諸君が
自由人として生きることよりも?≫
(第三幕第二場、小田島雄志訳)


これこれ、この葛藤
人間臭くてイイのよ。
冷静沈着と見えて、深く深く悩み抜くブルータス。
血気盛んだが、義理堅く人情家のキャシアス。
どっちも惚れ惚れするほどイイ男。


はぁぁ。
こんな状態で、白痴どもが
浮かれ騒ぐ巷に出て行く気には
とてもじゃないが、なれん。
世間様よ、楽しく佳き日を。