ブランチ、ゼルダ、ジャニス

jazzydays2006-11-12

狂乱の1920年代、ジャズ・エイジ
時代を象徴する享楽と退廃
波に洗われた一組のカップルがいた。
作家スコット・フィッツジェラルドと、
その妻ゼルダ


私の手元に一冊の伝記がある。
過去に幾度となく遭遇を
繰り返してきたのに、
手に取らぬまま、通り過ぎていた本。
ついに、出会うべき時が訪れたのだろう。
ゼルダ − 愛と狂気の生涯』。
(ナンシー・ミルフォード、1974年、新潮社)


ゼルダ―愛と狂気の生涯

ゼルダ―愛と狂気の生涯


決して薄いとは言えない本なのに、
一気に読み通してしまった。
現在の私にとって、あまりにも
グッド(バッド?)タイミングではないか。
ジャニス・ジョプリン
ゼルダの人生に深い共感を寄せていたのは、
よく知られるところだ。
名声、乱痴気騒ぎ、アルコール、煙草、
夫への愛着と憎悪、そして自滅へと至る道。


ジャニスとゼルダ、二人の南部女の
激しくも短い人生に思いを馳せる時、
おのずと浮かび上がってくる人物像がある。
テネシー・ウィリアムズの戯曲、
欲望という名の電車』の主人公ブランチ。


欲望という名の電車 (新潮文庫)

欲望という名の電車 (新潮文庫)


≪「欲望」という名の電車に乗って、
「墓場」行きに乗り換え、
「極楽」で降りる.....。≫
舞台はニューオリンズ
故・杉村春子が生涯の当たり役として演じ続けた
「壊れゆく元インテリ」南部女の哀れな物語。
私はナマ杉村バージョンを見る機会には
恵まれなかったが、大竹しのぶ主演と
篠井英介(ささい・えいすけ=平成の大女形!)主演、
二つの舞台に接したことがある。


大竹ブランチにも泣かされたけれど、
篠井ブランチの圧倒的な存在感の前には、
ただただ、滂沱の涙を流すより他になかった。
これは今後も、彼の重要な当たり役となるだろう。
きっと、私は再演のたびに劇場に足を運ぶことだろう。


以下、『ジャニス − ブルースに死す』より抜粋。
(デイヴィッド・ドルトン、1973年、晶文社


ジャニス ブルースに死す

ジャニス ブルースに死す


ゼルダ、ベッシー・スミス、ビリー・ホリデイ
それにニコル・ダイバー、これらの女性は、
彼女にとって精神的な双子のような存在であったのだ。
また、彼女自身、彼女らの生涯に
夢中になることで、その核心に到達していた。
空想によってひきおこされた憑かれた状態。
ジャニスが、すでにこの世にない女性たちと
たわむれるのは、「ふりをしてみる」という、
きわめて現実的な交感の方法なのであり、
そのことで、生きている人間に
破滅的な吸盤でとりつこうとする、
すべてのはなやかな、すべすべとした、
やわらかな影の存在を助長したのだ。≫


昨日、本棚を整理していたら、
ひらりと一枚の絵葉書が舞い落ちた。
ジャニスの伝記映画の広告ハガキ。
そんなものを持っていたことすら、
忘れていたのに、どうして今になって?
符牒? 暗示? 偶然?
いずれにせよ。
ブランチ・デュボアを
自分の未来像にしてはいけない。
この私に、一世一代の
毒婦=ファム・ファタール
演じる力があるとしたなら光栄だがね。