論じる者、作る者*

だいぶ前に買っていながら、放置していた
『昭和ジャズ喫茶伝説』(平岡正明、2005年、平凡社)を読む。


昭和ジャズ喫茶伝説

昭和ジャズ喫茶伝説


はぁぁぁぁぁ。嘆息。全編コレ、左翼崩れオヤジの戯言。
観念的。妄想的。何が闘争だ。何が革命だ。
著者が生まれ育った時代背景もあろうが、
音楽に世界が変えられるもんかよ。
個人の人生を変えうることはあっても。


アタクシは前々から、
LIVE AID」だの「BAND AID」だの、
音楽をやる奴らが、手に手を取って(寒気!)
世界平和を祈ったりしやがる
イベントが嫌いなのだ。
何が「Do They Know It's Christmas?」だよ。
キリシタン以外にゃ、全然カンケーねぇんだよ。
往々にして。
ミュージシャンが自然保護だの、
動物愛護だのを口にし始めた時点で、
ソイツの音楽は終わってる。


さて。上記の本。
それなりに資料的価値はあるから、
ブック・○フに売り飛ばすのはやめておくがね。
笑わせてもらった数少ない部分を2箇所、引用しておこう。


≪ジャズは、生演奏がいちばんだというのはまちがいないが、
生演奏はときどき、演奏するやつが邪魔だ。
部屋で聴くと、自分が邪魔だ。
ジャズは、ジャズ喫茶で聴くものだ。≫


≪左翼は靖国へ行くべきだというのが、俺の意見だ。
戦死した兵隊の鎮魂を、もっぱら右翼と体制側に
独占させるのはまちがいだろう。≫


著者・平岡正明は1941年(昭和16年)の生まれ。
ってことは、アタクシが敬愛する大野雄二氏と同い年。
同時代を疾走してきた二人の男たち。
かたやジャズ評論家。
かたやジャズピアニスト、作曲家。
論じる側と作る側。
その違いは、あまりに大きい。
大野氏の語りおろし本、
ルパン三世 ジャズノート&DVD』(2004年、講談社
からの引用で比較してみたい。


ルパン三世 ジャズノート&DVD

ルパン三世 ジャズノート&DVD


≪僕は根っから音楽が好きで、気がついたらそれが商売に
なっていたようなものだから、いまだに趣味が音楽であり
仕事も音楽というのがミソ。ようするに年がら年中音楽の
ことばかり考えてるのが少しも無理ではないってこと。≫


≪ちょっと大げさに聞こえるかもしれないけど、
常に野垂れ死に覚悟で仕事をしているつもりなんだ。≫


≪母親の死によって、自分の中に
「人間なんていつ死んでもおかしくないんだから、
自分が本当にやりたいことを正直にやるのが一番だよな」
という価値観みたいなものが強烈に芽生えたのは確かなんだ。≫


≪ピアニストとしての腕前は、若い頃とくらべてもひけをとらない、
といえるだけの自信が今の僕にはある。≫


≪僕にとって「グルーヴする」とは、
ある種のトランス状態に陥っていることをいう。
ただ、それは僕ら演奏しているプレイヤーだけじゃなくて、
その場にいるお客さんも含めてのことだから、
少し拡大解釈すれば、場の雰囲気がトランス状態に
なるということにもなる。≫


ジャズ喫茶で「録音された」ジャズを
長らく聴いてきた男と、
ブランク期間はあれど、ジャズの生々しい
現場に立ち続けてきた男。
二人は同い年。
世に評論家という人種は不要、だなどと言うつもりは毛頭ない。
このアタクシも、彼らの存在にずいぶんと助けられてきた。
しかし。断然、後者の言葉に魅力を感じるね。




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