本牧メルヘン

本牧で死んだ娘はカモメになったよ......」
鹿内タカシが歌う『本牧メルヘン』は、
こんなふうに物哀しく始まる。
作詞・阿久悠、作曲・井上忠夫
まさにゴールデン・コンビの手による
1972年のヒット曲。
井上は元・ジャッキー吉川ブルーコメッツ
中心メンバー。後に大輔と改名し、
次々に秀逸な作品を残したが、
人生をフルスピードで駆け抜けて、
瞬く間に逝ってしまった。


横浜市中区山下町。
中華街のド真ん前。
旧・警友病院で産声を上げた私。
逆子だったんだと。
母親も病院側も、一生懸命、
頭から先に生まれるようにと、
努力してくれたそうだが。
どうにもならなかったらしい。
はい。足から生まれ落ちましてございます。
この世の空気を吸った当初から、
ヒネクレ者だったんだわね。今にして思えば。
ほほほほほほほ。


それから幾歳月。
ずっと、この土地から離れたことがない。
えっ? 埼玉の某所に数ヶ月間、
身を隠してた暗い過去があるだろ、だと?
まあ置いとけよ、昔の恥は。


新山下ドンキホーテ
バンドホテルだった頃。
隣接していたライブハウス、
"シェル・ガーデン"で毎月、
チーボー&ベイサイド・ストリート・バンドの
演奏するブルージーなロックンロールを聴いていた。
ロッカーズも聴いた。ルースターズも聴いた。
ホテルの宴会場"シェル・ルーム"では、
ウィリー沖山が歌っていた。
「リキシャ・ルームで朝メシしましょ」が
まだまだ口説き文句として通用していた頃の話だ。


その私ですら、本牧は昔っから、
メンドイ場所なんだよ。
昼間なら。バスに乗れば、行くのはたやすい。
が。しこたま飲んじまった日にゃあ。
アブナイお兄さんの車に乗るのを回避するとしたら、
帰りの足はタクシー・オンリー。
陸の孤島
しかし、本牧はあれでいいのかもな。
私が遊んでいた頃とは、すっかり
様変わりしてしまったが、
不便だからこそ、
わざわざ行きたくなるような
妙な魅力がある街なのだ。
おっと。いけねぇ。
ついつい、しんみり「昔語り」なんぞ
やらかしちまいました。