アンチ・クリスマス

私はクリスマスを祝わない。
理由は簡単至極。キリシタンでないからである。
高校2年の頃にハタと気づいてから、このかたずーっと。
思えば当時教科に入っていた「倫理社会」とやら
が毒だったのですな。当時の私はキリシタン詩人の
八木重吉にハマっていたのであるが、
彼の詩の中に信仰のためなら何でも捨てる、
ただし、妻と子は捨てることができん!!!!
という血を吐くような部分があり、
それまでの私自身のキリスト教への
懐疑心をあまりにも明確に表現されてしまった感が
あったのである。

遠い遠い昔。私は友達の誘いで日曜ミサに参加し、
クリスマスにはキャロルを歌いながら街中を
練り歩いた経験がある。


が、その前に告白せねばならないことが一つ。
日曜学校(普通の家庭で十数名の子供たちを
集めて行われていた)のある日、
指導者の女性がこんな例を上げた。
「貧しい男の子が玩具店で欲しかったおもちゃを
万引きしてしまった。それを家に持ち帰ったが、
どうにも良心の呵責に耐えかね、母親と共に
玩具店に返しに戻った。」と。
すると玩具店の店主は、こころよく
「正直によく戻してくれたね。」と微笑んだのだと。
さて。ここからが問題である!


私を含め十数名の子らを前に、
日曜学校の指導者の女性は笑みをたたえて
こうたずねた。
「その時、その男の子は心の中でありがとう、と
言いました。さぁ、誰にありがとう、と言ったのだと
思いますか?」
私は何の疑問もなく「おもちゃ屋のおじさーん!」と
声を張り上げたのだが、他の子たちは
皆、一様に「イエスさま〜〜〜〜」と
唱和しているではないか!!!!!!!!!!
がーん。私はここには適さぬ人間なのだ。
子供心にも自分の異質さが痛いほど理解できた瞬間だった。


それ以降、私はクリスマスキャロルを歌いながら
街中を歩き回るようなことからは
すっぱり足を洗い、今に至る。
クリスマスケーキも買わなければ
デコレーションも一切しない。
どうせ古くからの冬至に乗っかった祭りなのだ。
キリストは確かに類まれな指導者であったろう。
しかし、今、ここにいる私が
クリスマスを祝う気は全くゼロ。


この時期に私に会ったなら、
どうか「メリークリスマス」とは言わないで下さい。
外国のカードにはクリスマス用だけじゃなく、
単に「Season's greetings」と印刷したものがありますね。
あのノリで、お願いいたしやす。