続アンチ・クリスマス

冬が嫌いだ。
年の瀬と年明けの浮かれムードに素直に乗れない。
夕刊は休みだし、TV番組も似たりよったり。
まとまった休みが取れるのはありがたいが、
「早く通常通りの生活に戻って欲しい!」と
内心強く願っていたりする。

正月は日本人のDNAが染み込んでいるのか、
それなりに厳粛な気分にならなくもないが、
クリスマスは苦々しいことこの上ない。
キリシタンでもないのに、自宅を派手派手な
イルミネーションで飾り立てるのはやめましょう。
電気の無駄使いです。

真摯な信者にとっても、迷惑な話ではないか?
クリスマスが単なるプレゼント交換の日、
乱痴気騒ぎの日と化してしまっている状況は。
まぁ、年の終わりに家族や仲間と労をねぎらい合い、
贈り物をし合うのもいいだろう。
できれば「舶来モノ」の宗教行事などに乗っからずに、
冬至祭」のような形で定着してくれればよかったのだが。


年間で太陽高度が最も低く、日照時間が最も短くなるのが
冬至である。つまり、生きとし生けるものの源泉たる
太陽のパワーが一年で最も衰える日。
この日にユズ湯につかったり、かぼちゃを食べるのは、
その丸い姿や黄色が太陽を想起させるためであり、
寒さで弱ったカラダへのビタミン補給の意味もあった。


キリスト教普及以前のヨーロッパでも、冬至は重要な
意味を持っていた。その日を境に日照時間が日に日に
長くなっていく現象は、春の到来を象徴したのである。
冬来たりなば、春遠からじ!
諸説あるキリストの誕生日が12月25日に落ち着いたのは、
古くからの冬至祭を換骨奪胎したもの、
という説が有力だそうな.....。


そんな私だが、一度だけ例外的に
大きなクリスマスケーキを食べたことがある。
当時つき合っていた人が
どうしても「デッカイの買って食べたい!」と
言うので、中村屋だか不二家だかのを買い込み、
彼の部屋で一緒に食べたっけ。
結局、二人で食べるには大きすぎ、
翌日まで残ってしまったのだが....。
その彼もすでに天国の住人。
今頃、お腹いっぱいケーキを食べていることを願う。


敬愛する切通理作さんが来春に上梓予定の
失恋論」をメインにすえたブログをクリスマスイブに開設された。
URLはこちら→http://blog.goo.ne.jp/kirira/