闇の力学

jazzydays2014-11-02

霜月突入。
昨日11/1はキリスト教以前よりの
風習Samhain(サウィン)であった。
いわゆるハロウィーン
根っこはこの祭り。
クリスマスはYule(ユル=冬至)を
換骨奪胎したものだ。
不肖キツネ、
17の頃よりこのかた、
切支丹行事は
一切、祝っていない。
その理由は以前書いたので
ココには繰り返さぬ。


図書館で借りた本が
あまりにも充実した内容につき、
自腹で買い腰を据えて読み込んだ。
その1冊とは、
深層心理学の立場からの
硬派なキリスト教批判。
だが決して読みづらくはなく、
じっくり取り組めば
砂漠にスコールが降るかのごとく
心身にしみ込んでくる。
不肖キツネを含め、
ユング学徒を自認する者および
誇り高きpaganは必読。


ユングとキリスト教 (講談社学術文庫)

ユングとキリスト教 (講談社学術文庫)


以下、適宜割愛・省略しつつ、
印象的な部分の抜粋を掲げる。
これらの要点をおさえておけば、
余計な説明解釈は不要だろう。


≪もし悪が存在しないとすれば、
 どうして善について語ることが
 できるのであろうか。
 闇のない世界で光について、
 また下がない世界において上について、
 いかにして語り得るというのであろうか。≫


グノーシス思想の流れでは、
 善と悪は共に人間をこえた神的な力として
 この世を支配しているものとして
 考えられる傾向があった。
 これに対して教父哲学の流れでは、
 世界から悪を抹殺して善なる神のみの
 支配下におく論理へと
 次第に向っていったのだった。≫



グノーシス思想は善神と悪神、
 あるいはキリスト教と反キリスト(悪魔)を
 一体不可分の関係にあるものとして
 とらえたのである。
 悪神・悪魔は、深層心理学的に言えば
 人間性の「影」の部分、すなわち
 肉体と結びついた無意識領域の衝動が
 投影され、実体化されたものである。≫


≪人間の本性は、善と悪、精神性と物質性、
 神性と悪魔性の結合において存在しているのである。
 グノーシス的人間観が深層心理学の見方と
 深くつながってくるのに対して、
 教父哲学における「悪=善の欠如」
 という命題は、人間の肉体性や
 無意識的過程の諸問題を
 人間性の本質から排除してゆく傾向を
 もつものであったと言えるであろう。≫



≪ヨーロッパ人の視点から植民地化とか
 異教徒への宣教、文明の拡張などと
 呼んでいるものは別の顔を持っている。
 つまり残忍なほどの集中力で
 遠くの獲物を探索する猛禽類の顔つきであり、
 海賊、夜盗といった悪人どもに
 ふさわしい相貌である。≫


≪近代世界を支配しているのは、
 キリスト教の枠の外に逃れた異教的魂である。
 それはあの古代ゲルマンの戦いの神
 ヴォータンの叫びである。
 ヴォータンはついにヒトラーに乗り移った。
 それがキリスト教の神の名によって
 その存在を圧殺された異教的魂の復讐なのである。≫



ユングの描く精神史は、いわば死者たちの
 鎮魂のための精神史である。
 歴史の舞台には、勝利者があれば必ず敗北者がある。
 光の精神史の裏面には影の精神史がある。
 ユングは、栄光の歴史の影に怨みをのんで
 消えて行った無数の死者たちの鎮魂のために、
 その精神史を書いたのである。≫


≪西洋精神は二千年にわたる精神史の
 光と影をたどり直してみなくてはならない。
 少なくともそれは、ローマ帝国の権力と
 結合して正統と異端を分つ論理を
 確立した以前のあり方に
 戻らなくてはならないだろう。≫


本日の画像は某有名蕎麦処の支店にて。
久しぶりに行ってみたが、
高い割に味はフツーすぎる。
御膳蕎麦(更科)は
白っぽいだけでコシがなく、
不肖キツネの苦手なそうめんを
想起させるわい。
カメラは愛機FUJI XF1、
撮影後にPicMonkeyにて
ポラロイド・フレーム加工。