霜月突入。
昨日11/1はキリスト教以前よりの
風習Samhain(サウィン)であった。
いわゆるハロウィーンの
根っこはこの祭り。
クリスマスはYule(ユル=冬至)を
換骨奪胎したものだ。
不肖キツネ、
17の頃よりこのかた、
切支丹行事は
一切、祝っていない。
その理由は以前書いたので
ココには繰り返さぬ。
図書館で借りた本が
あまりにも充実した内容につき、
自腹で買い腰を据えて読み込んだ。
その1冊とは、
深層心理学の立場からの
硬派なキリスト教批判。
だが決して読みづらくはなく、
じっくり取り組めば
砂漠にスコールが降るかのごとく
心身にしみ込んでくる。
不肖キツネを含め、
ユング学徒を自認する者および
誇り高きpaganは必読。
- 作者: 湯浅泰雄
- 出版社/メーカー: 講談社
- 発売日: 1996/09
- メディア: 文庫
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以下、適宜割愛・省略しつつ、
印象的な部分の抜粋を掲げる。
これらの要点をおさえておけば、
余計な説明解釈は不要だろう。
≪もし悪が存在しないとすれば、
どうして善について語ることが
できるのであろうか。
闇のない世界で光について、
また下がない世界において上について、
いかにして語り得るというのであろうか。≫
≪グノーシス思想の流れでは、
善と悪は共に人間をこえた神的な力として
この世を支配しているものとして
考えられる傾向があった。
これに対して教父哲学の流れでは、
世界から悪を抹殺して善なる神のみの
支配下におく論理へと
次第に向っていったのだった。≫
≪グノーシス思想は善神と悪神、
あるいはキリスト教と反キリスト(悪魔)を
一体不可分の関係にあるものとして
とらえたのである。
悪神・悪魔は、深層心理学的に言えば
人間性の「影」の部分、すなわち
肉体と結びついた無意識領域の衝動が
投影され、実体化されたものである。≫
≪人間の本性は、善と悪、精神性と物質性、
神性と悪魔性の結合において存在しているのである。
グノーシス的人間観が深層心理学の見方と
深くつながってくるのに対して、
教父哲学における「悪=善の欠如」
という命題は、人間の肉体性や
無意識的過程の諸問題を
人間性の本質から排除してゆく傾向を
もつものであったと言えるであろう。≫
≪ヨーロッパ人の視点から植民地化とか
異教徒への宣教、文明の拡張などと
呼んでいるものは別の顔を持っている。
つまり残忍なほどの集中力で
遠くの獲物を探索する猛禽類の顔つきであり、
海賊、夜盗といった悪人どもに
ふさわしい相貌である。≫
≪近代世界を支配しているのは、
キリスト教の枠の外に逃れた異教的魂である。
それはあの古代ゲルマンの戦いの神
ヴォータンの叫びである。
ヴォータンはついにヒトラーに乗り移った。
それがキリスト教の神の名によって
その存在を圧殺された異教的魂の復讐なのである。≫
≪ユングの描く精神史は、いわば死者たちの
鎮魂のための精神史である。
歴史の舞台には、勝利者があれば必ず敗北者がある。
光の精神史の裏面には影の精神史がある。
ユングは、栄光の歴史の影に怨みをのんで
消えて行った無数の死者たちの鎮魂のために、
その精神史を書いたのである。≫
≪西洋精神は二千年にわたる精神史の
光と影をたどり直してみなくてはならない。
少なくともそれは、ローマ帝国の権力と
結合して正統と異端を分つ論理を
確立した以前のあり方に
戻らなくてはならないだろう。≫
本日の画像は某有名蕎麦処の支店にて。
久しぶりに行ってみたが、
高い割に味はフツーすぎる。
御膳蕎麦(更科)は
白っぽいだけでコシがなく、
不肖キツネの苦手なそうめんを
想起させるわい。
カメラは愛機FUJI XF1、
撮影後にPicMonkeyにて
ポラロイド・フレーム加工。