日も暮れよ鐘も鳴れ

jazzydays2012-07-23

三島にせよ。
北にせよ。
磯部にせよ。
"先祖"返り甚だしき昨今であるが。
これでよいのだ。
彼らに「呼ばれた」からこそ
かつてあれほどに資料を漁り、
ゆかりの土地にも
出向いたではないか。
後世にワシのような
古ギツネが現れたことを
彼らはきっと喜んでいてくれる。
そう思いたい。


毛色は異なれど。
忘れられぬ詩人がいる。
堀口大學
詩人としてより
どちらかと言うと
フランス文学翻訳者として
名高いかもしれんね。


月下の一群 (講談社文芸文庫)

月下の一群 (講談社文芸文庫)


ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
 われらの恋が流れる
 わたしは思い出す
 悩みのあとには楽しみが来ると


 日も暮れよ、鐘も鳴れ
 月日は流れ、わたしは残る


 手に手をつなぎ
 顔と顔を向け合おう
 こうしていると 
 二人の腕の橋の下を
 疲れたまなざしの無窮の時が流れる


 日も暮れよ、鐘も鳴れ
 月日は流れ、わたしは残る


 流れる水のように恋もまた死んでいく
 命ばかりが長く
 希望ばかりが大きい
                                         

 日も暮れよ、鐘も鳴れ
 月日は流れ、わたしは残る


 日が去り、月がゆき
 過ぎた時も
 昔の恋も 二度とまた帰って来ない
 ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる


 日も暮れよ、鐘も鳴れ
 月日は流れ、わたしは残る≫
   「ミラボー橋」
    by ギヨーム・アポリネール 堀口大學


ああ何と美しき超名訳。
彼と寺山修司なくして
今のワシはないのよ。
もちろん。
他にも心奪われた詩人は存在した。
たとえば。
八木重吉
中原中也
が。
本人存命中に会いたくても会えず、
口惜しい思いをしたのは
堀口大學野村秋介じゃ。
うむ。
自ら浪漫派を名乗っていた
野村氏は「詩人」だったと思うのよ。


まあいい。
語れば長くなる。
時間も惜しい。
心底興味のある人だけに
じっくり語りたい。
(いないだろうがな。)
寺山修司が詠んだ
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
 身捨つるほどの祖国はありや」
に対し、敢然と
「ある!」
と叫んだのが野村秋介であった。
http://d.hatena.ne.jp/jazzydays/20071021


さらば群青―回想は逆光の中にあり

さらば群青―回想は逆光の中にあり


「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」
    by 野村秋介