三島にせよ。
北にせよ。
磯部にせよ。
"先祖"返り甚だしき昨今であるが。
これでよいのだ。
彼らに「呼ばれた」からこそ
かつてあれほどに資料を漁り、
ゆかりの土地にも
出向いたではないか。
後世にワシのような
古ギツネが現れたことを
彼らはきっと喜んでいてくれる。
そう思いたい。
毛色は異なれど。
忘れられぬ詩人がいる。
堀口大學。
詩人としてより
どちらかと言うと
フランス文学翻訳者として
名高いかもしれんね。
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≪ミラボー橋の下をセーヌ河が流れ
われらの恋が流れる
わたしは思い出す
悩みのあとには楽しみが来ると
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
手に手をつなぎ
顔と顔を向け合おう
こうしていると
二人の腕の橋の下を
疲れたまなざしの無窮の時が流れる
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
流れる水のように恋もまた死んでいく
命ばかりが長く
希望ばかりが大きい
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る
日が去り、月がゆき
過ぎた時も
昔の恋も 二度とまた帰って来ない
ミラボー橋の下をセーヌ河が流れる
日も暮れよ、鐘も鳴れ
月日は流れ、わたしは残る≫
「ミラボー橋」
by ギヨーム・アポリネール 堀口大學訳
ああ何と美しき超名訳。
彼と寺山修司なくして
今のワシはないのよ。
もちろん。
他にも心奪われた詩人は存在した。
たとえば。
八木重吉。
中原中也。
が。
本人存命中に会いたくても会えず、
口惜しい思いをしたのは
堀口大學と野村秋介じゃ。
うむ。
自ら浪漫派を名乗っていた
野村氏は「詩人」だったと思うのよ。
まあいい。
語れば長くなる。
時間も惜しい。
心底興味のある人だけに
じっくり語りたい。
(いないだろうがな。)
寺山修司が詠んだ
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
身捨つるほどの祖国はありや」
に対し、敢然と
「ある!」
と叫んだのが野村秋介であった。
http://d.hatena.ne.jp/jazzydays/20071021
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「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」
by 野村秋介