「ミナトに響いたJAZZと汽笛」展

jazzydays2009-08-12

8時半すぎ。
シーパラダイスの
花火が聞こえてきた。
今夜から
4日連続の打ち上げだ。
たった10分間で
2500発だと。
いいねえ。
その無駄っぷり。
この夏はまだ花火を見てない。
行けるかしら。


さてと。
昨日の絵日記。
MM地区の病院を出て
いつものように
クイーンズスクエアを歩き、
例によって例の場所で
鏡像自分撮り。



馬車道に移動し、
日本郵船歴史博物館へ。
長らくこのあたりを
徘徊していながら、
初めて中に入った。
築70年以上、
堂々たる建造物である。



展示内容は
海外との往来手段が船だった時代。
日本国内では
なじみのない
ポピュラー洋楽を
「獲れたて新鮮真空パック!」の形で
運んできた楽士たちの軌跡。
以下、展覧会パンフより引用。


≪海外留学は高嶺の花で、
 日本では、レコードはおろか
 楽譜さえ、なかなか手に入らない時代。
 船に楽士として乗船する事は、
 西洋音楽に直接触れることのできる
 貴重な機会でした。
 サンフランシスコに到着すると、
 楽士達はこぞって、停泊期間を、
 ホテルの専属オーケストラの
 楽長による演奏指導を受けたり、
 オーケストラの演奏会、
 オペラ、バレエ、映画など、
 本場の音楽、芸術、文化に
 触れることに費やしました。
  (中略)
 彼らが買い求め、
 日本へ持ち帰った楽譜やレコードは、
 横浜や神戸などで高値で販売されたといいます。
 こうして(中略)アメリカの音楽は、
 日本のジャズやポピュラー音楽の発展に
 大きく影響を及ぼすことになります。≫
 

インターネットで
瞬時に世界各国の
音楽にアクセス可能な
現在とは異なり、
楽士たちは新しい音楽を
文字通り「体で」運んできたのだ。
彼らなくして
横浜ジャズは存在しえなかった、
と断言していいだろう。


ところで。
この博物館では
入場時にジュトンみたいな
コインを手渡してくれる。



展示室の最終コーナーにある
一角でドリンクと
引き換えられるのよね。
珍しいサービスだな。
残念ながらタイムオーバーで
ミュージアムショップは
見られずじまい。
また来よう。




神奈川県警の向かいを
歩いていたら。
時がフリーズしてる建物に遭遇。



食堂の名は「グリル農業会館」。
蕎麦・洋食・丼物、
何でもあるじゃん。
「わび・さび」感あふれる
サンプルたちがたまらん。




タマネギや鶏肉の
干からび具合といい、
皿の欠け具合といい、
文句のつけようがありませんね。
腹が減ってたので
迷わず入店。
暑いけど熱いタヌキにしよう。
もちろん大盛り。
それとビール大瓶。


と思ったのに。
中途半端な時間帯だったせいか
蕎麦担当料理人がおらず、
目論見は果たせず。
それにしても
素敵すぎるレトロ感。
再襲撃を誓って店を出た。


自然と足は
日本大通りに向かう。
私が横浜で最もくつろげる街路。
しかし腹減ったな。
時計を見ると16時半。
よしっ。
仕事を終えた勤め人たちが
巷にあふれる前に出撃だ。
いざ!さくら水産へ。


小食・偏食で
バテバテな体に
良質のタンパク質を
この際まとめて
補給してやろうぞ。
注文したのは以下の顔ぶれ。



まぐろアラ煮。80円!



揚げだし豆腐。



スペアリブ。


どれも量たっぷり。
お味も大変結構でございます。
とりわけ。
驚愕価格のまぐろアラ煮は
ゴハンを頼めば
じゅうぶん定食になりそうだ。
ショウガの薄切りが
何枚も入っててヘルシーだし。


この他にお通しがついて、
ビール大瓶とサワー1杯飲んで
2000円でお釣りが来た。
玉木宏みたいな
美形スタッフ(中国系)の
笑顔も御馳走のうち。
ムシャクシャ、
イライラ、
ガッカリ、
に慣れた日々の中、
わらわは久しぶりに
満ち足りたぞよ。
おーっほっほっほ。



[stmx] - ソーシャルマーケットプレイス