形見としてのブログ

低気圧が停滞しているせいか、
昨日から絶不調。
やるべきことは、いくらでもあるのに、
何もやる気になれない。
気分転換しようと、久々に
まつ毛パーマをかけに行く。
マッサージ・チェアのサービスつき。快適。
が、まつ毛は上向きになっても、
テンションは上向かない。
帰るなり寝床へ直行。またも廃人。
自称・晴れ女の私も、
梅雨前線には勝てませぬ。
早く灼熱の夏よ来い!


それでも、このブログだけは
極力、毎日の更新を心がけている。
大げさに言ってしまえば、
それが私の形見=遺書でもあるから。
もし、私が死んでも、
インターネット上にブログは生き続ける。
ちょっと長くなるけれど、
『超実践!ブログ革命』(増田真樹、角川書店、2005)より引用。


超実践!ブログ革命―共感が広がるコミュニティ作り (角川oneテーマ21)

超実践!ブログ革命―共感が広がるコミュニティ作り (角川oneテーマ21)


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≪ブログに関する情報を収集するようになってから、
運営者が不在のブログに二度出会いました。
つまり、ブログを運営している途中で
亡くなられてしまったのです。


今、そのブログを振り返れば、
亡くなられてしまう兆候みたいなものが
見え隠れしているような気もしますが、
少なくとも生きておられるうちは、
生きる意欲がみなぎっており、
普通の人と変わりがないように感じました。


しかしある日、突然、ブログの運営が止まり、
まもなく家族やブログ運営に関わる方からの
メッセージが掲載されたのです。
実はお二方とも直接の面識はないのですが、
日常生活がブログとして記録されていることで、
もしかするとこの人達は今でも、どこかで
生きているのではないかという錯覚を
覚えることもあります。


見れば辛いし、しかし消すことはできない。
数年にわたるブログのエントリーによる物語は、
"生命" というものを強く私に感じさせるのです。
おそらく私はこのことを一生忘れないでしょう。
会ったこともない、しかし近い存在のこの方達を。


今、こうして彼女達によって残されたブログは、
叫びのような気がしてなりません。
限られた余生を目前にして「生きたい」と
強く訴えかけるメッセージが、
日々綴られるありきたりな生活の言葉の中に、
シールで閉じて隠されているような気がするのです。≫


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そんなワケで。これからも大いに
目に余る皮肉・毒舌・暴言を吐き続けますが、
今後とも皆さん、どうかゴヒイキに。