Yokohama Mary

jazzydays2006-06-16

映画『ヨコハマメリー』を見る。
横浜で生まれ育った人間なら
誰でも知っている、
あの白塗りメリーさんの
ドキュメンタリー。
監督は弱冠30歳。
完成までに5年の
歳月を費やしたという。
膨大な量のフィルムを
約90分に見事まとめ上げた
編集手腕に脱帽。


初めての就職先が伊勢佐木町
老舗書店だった私。
かつては、毎日のように
メリーさんを見かけたものだ。
当時のあの街には、
腕や足を失って
物乞いをする傷病兵たちも、
まだまだたくさん存在した。


ある日のこと。
メリーさんが私の働く売場のレジに
やって来て、のたもうた。
「あたくし、水彩画をたしなみますの....。」
「は、はぁ.....。」
「つきましては、こちらで出版して
いただけないかと思いまして....。」
えええええっ。
マジかよ。さぁどうする!
とにかく出版課の社員を呼び出さなくちゃ。
すぐに、出版課長自らが売場にすっ飛んで来た。
「私共のような弱小な社からお出しするのは、
かえって、御迷惑になるのではないかと.....。」
うまいぞ。課長!
彼女のプライドを傷つけない形で、
何とか丁重に断ってくれた。
メリーさんは、
「あらぁ、そうですか....。」と
別に食い下がりもせず、その場を立ち去って行った。
売場の全員、ホッと胸を撫で下ろすの巻。


正直、当時の私はメリーさんが絵を描いているなんて、
とても信じられなかったのであるが。
この映画を見て、それが事実であったことが
裏付けられた。ゴメンネ。ずっと疑ってたよ。


映画の中で、メリーさんを長年にわたって
撮り続けた写真家・森日出夫がいみじくも語っているように、
彼女は伊勢佐木町馬車道の風景そのものだった。
あの奇抜な風体を見かけても、
誰も驚く者などおらず、
彼女は、ごくごく自然に、いつもそこにいた。
メリーさんの姿にギョッとして、
立ち止まったり、目を見開くのは、
ヨソからやって来た観光客ぐらい。


この映画は監督が横浜人だからこそ、
作り得た自然体な流れが気持ちいい。
ヨソ者は、ともすると横浜=「異国情緒あふれる港町」
として過剰な思い入れを抱きがちだ。
しかし、そこに住む者たちにとっては、
淡々と日々の暮しを送る場でしかない。
そもそも。横浜の人間はココを「ハマ」なんて
呼んだりしねえんだよ。
横浜は横浜。
たまたま海に面した普通の街。
それ以上でもそれ以下でもない。




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