日本語のチャイコ

「男が飲んでる時に、
女が話しかけてくるんじゃねぇ。」

by 北方謙三
これを面と向かって言われりゃ、私も頭に来るだろう。
しかし、北方の(初期)作品は、一応性別=女である私を
圧倒的に主人公の男に感情移入させる力を持っていた。
が。ハードボイルドで鳴らしたそのお方も、今や歴史小説の大家。
(トリオ・ザ・パンチ以来、ハードボイルド人生一直線の
内藤陳は、いまだに道を誤っていない。)


誤解・非難・中傷を覚悟で言うが、
私は基本的に金を出して女が演奏するジャズは聴かない。
器楽であれ声楽であれ。
(クラシックは別。)
サラ・ヴォーンカーメン・マクレエ
あるいは往時の穐吉敏子の如く、
その声、その存在自体が、あまりにも完成された
musical instrumentである場合を除き。
女がやるジャズは「やに下がった」オヤジどもが
酒のツマミにすればよいだろう。
(私が親しくさせていただいている
女性ジャズミュージシャンたちよ、
拙文は決して貴女方を貶める意図で書かれたものでは
ないことを御理解いただきたい。)


さらに。
私は基本的に歌詞のある音楽を好まない。
ミューズの御託宣はすべて旋律とリズムのみで語りうる、と
信じているからだ。
それゆえ、ドイツ・リートの演奏会やオペラには、
数えるほどしか足を運んだことがない。
言葉(それが理解できない外国語であっても)が
音楽と魂とのホットラインを妨げる気がしてならない。
歌詞があると、説明が過剰になるのである。


不思議なことに。
コバケンこと小林研一郎が指揮するチャイコフスキーや、
大友直人が指揮するショスタコーヴィチ交響曲
日本語に聴こえて聴こえて仕方ない!瞬間を何度も経験している。
それは、おそらく昭和〜平成の日本を
ともに呼吸した同胞のみが理解しうる記号=コードなのやもしれぬ。
特に大友は海外留学経験もなく、純粋に日本国内で研鑽を積んだ、
いわば「純国産」指揮者。
彼が指揮する、さまざまなクラシックの名曲たちをナマで聴いてみて、
非常に「腑に落ちた」「納得できる」思いにとらわれるのは、
彼のそうしたバックグラウンドが成せるワザかもしれない。




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