憂国の靖国

jazzydays2014-08-16

昨日15日は例年通り、
靖国神社を参拝。
本年は癒しの森
大竹正美先生と
当ブログでおなじみの
セラピスト、
スミカこと秋山純香さん
御一緒した。
正午の黙祷前後は
身動き取れないほど
境内が混み合うので、
ピーク過ぎの14時半に
正門前にて待ち合わせ。
それでも参拝客の列は
全く途絶えることがない。
毎年、この日は炎暑。
若い世代が年々
増えているのを実感する。


「アカが書き、
 ヤクザが売って
 バカが読む」
売国反日新聞・朝日が
ようやっと吉田証言の嘘を認めたのは、
社会の中心から左巻き団塊の世代
去っていく現状と
無関係ではあるまい。
このまんまじゃ、
ただでさえ購読者数が減っている中
(公称700万、実売280万)、
近い将来、健全な愛国世代によって
自社が完膚なきまでに
叩きのめされるのは
火を見るよりも明らかだしな。
田母神俊雄氏の名言通り、
「アサヒとは飲むものであって
 読むものではありません。」



●ちょうど鳥居の真上に太陽が。


靖国を参拝するたびに思い出す
寺山修司の歌がある。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし
 身捨つるほどの祖国はありや」
この疑念に対し、毅然として
「ある!」と断言したのは
故・野村秋介氏であった。


さらば群青―回想は逆光の中にあり

さらば群青―回想は逆光の中にあり


その野村氏が
人生最後の場所に
朝日新聞社の社長室を
選んだことの意味。
昭和初期の話ではない。
平成の話だ。
マスメディアと言えど、
一企業の社長室でピストル自殺。
その決意を理解できないなら
日本人をやめたまえ。


靖国を詣でた後、
千鳥ヶ淵戦没者墓苑へ向かう。
いつ見ても、
抹茶色に沈むお堀は神秘的だ。
夏もよいが、
桜が狂ったように咲き誇る
春の美しさはまた格別。
やっぱり。
梶井基次郎は正しいんだよ。


≪桜の花があんなにも見事に咲くなんて
 信じられないことじゃないか。
 俺はあの美しさが信じられないので、
 この二三日不安だった。
 しかしいま、やっとわかるときが来た。
 桜の樹の下には屍体が埋まっている。
 これは信じていいことだ。≫


檸檬・桜の樹の下には (お風呂で読む文庫  6)

檸檬・桜の樹の下には (お風呂で読む文庫 6)





お参り後の直会
いつも立ち寄っていた
アジアン居酒屋が閉店していたのは残念。
毎年、この日は隣り合わせた
テーブルのお客さんと
言葉を交わし、
時には乾杯したり、
テーブルをくっつけて
宴会状態に突入したり。
貴重な体験がいろいろありやした。
かわりに以前何度か訪れたことのある
台湾料理屋へ。



●最初の一杯。ううううううめーっ。


本日の画像はすべて
FUJI XF1(EXR Mode)にて撮影。
靖国神社を去り際、
鳥居を撮ってる男性を見かけたのだが、
彼が手にしていたのが
我が愛機と全く同じ
黒のXF1ではないか!
おおお。
ナカーマ。
思わず話しかけたくなったわ。



ピータン叉焼の盛り合わせ。


夏が暑苦しいのは
気温が高いためばかりではない。
売国サヨクが妙に
元気づく季節だからである。
反戦平和?
武装
反核
そうやってせいぜい
能書き垂れてろよ。
無抵抗、丸腰の市民ほど
相手にしやすい敵はない。
「へーわ、へーわ、
 はんたーい、はんたーい」
と叫んでる間に
撃ち殺されるのが関の山。


振り返れば。
持たざる者は常に
持つ者によって蹂躙されてきた。
核が恐ろしければ恐ろしいほど、
持つ理由となる。
同時に。
原子力の火を自ら絶やすことが
一体どこの国を喜ばせるか、
考えてみりゃわかるだろう。
国の指導者が英霊に挨拶に
出向くことができない終戦の日
何かが決定的に間違っている。
来年は戦後70年の節目。
あと1年だ同胞よ。
我が日本はキッチリ国体を
取り戻すことができるのか。
刮目して待とうぞ。