節目諦念

ここんとこ。
ぜんっぜん日記を書けなんだ。
連日。
朝は不安発作で
盟友ソラ君
(安定剤Solanax)の出番、
夜は早けりゃ21時に寝落ち。
23日に令和最初かつ
節目の誕生日を
ひっそり迎え、
暑苦しいスピリットは
いまだ不変なるも、
体力気力はタダ下がり。


先日。
マッサージの帰り、
スタッフさんより
サプライズの
誕生祝い花束をいただき、
感激感涙。


振り返れば。
サプライズを
仕掛けることはあっても、
仕掛けられるのは
めったにない半生だった。
やさしくされることに
慣れてないんだよ。


ただいま名古屋。
あっという間に今年3回目。
通算?
数えきれん。
新幹線が名古屋駅
到着するたびに味わう
「帰ってきた」感。
不思議なほどに
アウェイ感がない。
今生では残念ながら
住めないけど。


今回の旅が終わったら、
しばし小休止だな。
不肖キツネを理解しない
くっだらん浮世なんざ、
とてもじゃねえが
マトモに向き合いきれねえよ。

維新の威信

維新のゴタゴタっぷりには
脱力するしかないが、
そもそもスタート地点っから
彼らが「維新」という語を
党名に用いたことに
長らく違和感があった。
明治維新
昭和維新
文字通り命を賭した先達に、
はなはだ失礼ではないのか。
元代表からし
うさんくささの極み。
大阪の府知事と市長の
入れ替え選挙なんざ、
有権者を愚民視した
茶番も茶番であろう。


こたび。
一議員の発言を
ロシア大使館にまで出向いて
謝罪するとは何たる
ていたらく。
それも。
時あたかも五・一五の近辺に。
火事場泥棒にすすんで
頭を下げるたぁ
時代が時代なら、
腹かっ切るくらいじゃ
すまんぞボケ!


湯川れい子
落合恵子
いずれも若かりし頃の
不肖キツネにとって重要な
ナビゲーターだった。
音楽、文学はじめ、
多方面のカルチャーにおいて
多大な影響を受けた。
それが今や。
目を覆うばかりの
老残左巻きババアに
成り下がっちまい、
空しいこと
この上ナシ。


いや。
彼女らは昔っから
ブレてないんだよな。
変わったのは
これなる古ギツネじゃ。
が。
イイんだこれで。
間違ってない。
後戻りはしない。
決して。

いつも心に

誕生月である。
今年はスペシャル。
だもんで。
春っからいろいろ
イベントが重なってるが、
6月以降、
まるで見えていない。
まあ。
今月末、
名古屋の
MODS MAYDAY
ピークだなマイ人生的に。


たまたま。
Twitterで「イイね」くれた人を
見に行ったところ、
お花畑系RT満載にてゲンナリ
また1人。
9条マンセー芸能人発見。
松田美由紀
息子2人はおいといて。
コヤツが優作と結婚してた
こと自体が笑止なんすけど。


不肖キツネ、
断じて左巻きフェミではない。
が。
仕事上の名前
(芸名とか筆名)を
簡単に改姓する輩を信用しない。
ユーミンしかり。
岩崎宏美は結婚を機に
いったん益田にしたものの、
離婚して岩崎に戻し、
のち再婚しても
岩崎のまんまだよな。
最初っから変えなきゃ
よかったのに、
当時は信じてたんでしょうなあ。
「永遠の愛」とやらを。
あーっはっはっは。


戸籍上はともかく、
ネームバリューの大きい
商売上の名前を
コッロコロ変えんじゃねえよ。
責任持てよ。
宇宙飛行士、
向井千秋さんが
内藤千秋さんだったことを
どれほどの人が覚えているのか。
日本人初、
女性宇宙飛行士。
内藤家の落胆は
いかばかりだったことか。


松田美由紀
もと熊谷美由紀。
同じく女優である
熊谷真実の妹であり、
女傑として知られた
熊谷突撃商店の主、
故・清子氏の娘である。
まぁ。
大した才があるワケでもない
テメエを優作の姓で
繕いたかったんだろ。


不肖キツネ、
一生涯未婚であるが、
今現在、
自分が守る姓は
母が旧姓を捨てて
得たものであるのは
承知している。
その上で。
変えたくない。
変わりたくない。
姓と名が一緒で
この古ギツネを
構成しているがゆえ。


もっちろん。
それがこれまで
結婚しなかった、
これからもしない
理由ではない。
「好きな人の苗字に
なりた~い♪」
という人々を
止めたりしませんとも。
ええ。
すぐセックスレスになるのにねえ。


んで。
セックスレスの既婚者ほど、
不倫に手厳しい。
そりゃ。
やりたくても
やれないヒガミ。
以上。
ってか。
いつまでも同じ異性に
ヌレヌレ&ビンビンのほうが
哺乳類的によっぽど
無理っぽいんですが。


別段。
やりまくりたいから
結婚しないワケではなく。
もはや。
恋愛ってどんな感情なのか
思い出せない。
だから。
ラブソングがひたすら
気持ち悪い。
入退院の行き帰りも1人、
手術の立ち会いナシ、
面会ナシ、
ぜーんぶ1人。
上等よ。
転ばない。
骨折しない。
くれぐれも用心。
いつも手元に携帯を。
いつも心に太陽を

昭和なロケンロー

先週土曜日。
本格的に再始動した
ザ・ロッカーズ
ライブを下北沢で聴く。
解散コンサート以来、
実に37年ぶりだ。
聴衆は思いっきり年齢層高め、
リアルタイム世代がほとんど。
陣内が開口一番、
「男ばっかりじゃねえか! 」
と笑う。
上等だぜ。
野郎が惚れるバンドに
間違いはないと昔っから
相場は決まってんだ。


演奏は
「休日のお父さんバンドにはしない」
「 同窓会にはしない」
と陣内があらかじめ
言っていた通り、
徹頭徹尾スパークしまくり。
中でも愛してやまぬ
「フェナー先生」
「キャデラック」
「ジャッキー」
に不肖キツネ狂喜した。
これらを再びナマで
聴ける日が来ようとは。


5人中、
オリジナルメンバーは
陣内と穴井の2人だが、
タテノリ奔流で
ぶちかますビートは
まごうかたなき
ザ・ロッカーズ
何度もアンコールにこたえ、
ラストのラストで演奏された
「涙のモーターウェイ
には号泣を禁じえなんだ。
汗と涙がダラダラ
口に流れてきて、
しょっぱい。


なあ陣内。
もう役者やめてもイイんじゃね?
還暦も過ぎたことだし。
ロッカーズ
思いっきり残りの人生、
突っ走ってもよくね?
思い返せば。
お前さんが
「あまく危険な香り」や
「おゆう」で
救いがたく大根な
演技してた初期も初期。
こりゃ長くは続かねえな、
と正直思ってたんだわ。
それが。
「ちょうちん」で
見る目が変わった。


んでも。
不肖キツネにとって、
陣内孝則
あくまでもロッカーズ
陣内孝則であり続けた。
「もうすぐAMEXの
ゴールドが手に入る」
とか何とかお前さんが
ホザいた時には
耳を疑ったぜ。
あの陣内がぜんっぜん
ロックじゃなくなっちまったな、と。
しかも結婚相手は
モデルと来たもんだ。


まあいいや。
こうして帰って来てくれたんだ。
見たろ?陣内。
50過ぎのオッサンたちが
こぶし振り上げて
お前さんと一緒に歌ってんのを。
40年近くたっても、
ぜーんぶ歌詞を覚えてんだぜ。
寄る年波をモノともせず、
開場から終演まで
ずーっと立ち通しだぜ。
大したバカヤロウじゃねえかオレら。


ロッカーズの魅力は
B級っぽさにあると
よく言われる。
だっさい歌謡曲チックな
曲も結構ある。
が。
日本人ならではの
琴線にふれる
昭和感満載なんだよな。


これまで有名人が死んで
一般人が葬儀に行くのが
全く理解不能だったけど、
陣内が死んだら、
これなる古ギツネも
そんな気になるのかもしれん。
同じ時代を生きた
昭和の体現者として。
ともあれ。
スタンディングのライブに
耐えられる体力がある限り、
死ぬまで聴くぜ。
行くぜ。
ロケンロー。

メディカルカクテル

連休期間中は
ほぼどこにも
行かなかったんで、
最終日に思い立って
ちょいとばかし
お出かけ。
主目的は老舗蕎麦処の支店。
少々値は張るが、
前に幾度か食べて
蕎麦のみずみずしく
青々しい香りに
驚いた記憶があり。


残念ながら
今回は期待ハズレ。
季節や職人さんに
よるのかも。
素晴らしい接客は不変だす。
その後は
ウィリアム・モリス展。
アーツ・アンド・クラフツの
根っこに脈々と流れる
オリエントの影響を
あらためて実感。


連休明け初日は横須賀へ。
今年2回目の診断書依頼。
帰りに横須賀美術館
寄ろうと思ってたのに、
面談が案外長引いて断念。
美術館のレストランで
久々にお昼を
食べたかったんだがな。
まあ出直そう。
というワケで。
午後3時すぎ、
めでたくランチ難民。
こういう時の味方はガストだ。
リーズナブルな上に、
サイゼリヤより料理が料理っぽい。


いったんは
おさまったはずの咳喘息が
ぶり返しており、
ふだんの服用薬に加えて
抗アレルギー剤&鎮咳薬の
絶賛カクテル効果で
毎晩、気を失うように
眠っちまう。
早けりゃ20時前だ。
子供か。


いんや。
むしろ。
年を重ねて日向で
コックリコックリしてた
老愛犬を思い出すわ。
そりゃあそうだよ今月で
いくつになると
思ってやがんだバカヤロー。
願わくは。
これなる古ギツネに
愛より同情よりリスペクトを。

新陳代謝

令和初の皇居一般参賀には
14万もの善男善女が
集ったそうな。
まっこと
めでたいではないか。
一方。
反対派のデモはわずか80人。
それも。
見るからに年配者
ばかりだった由。
全共闘の腐れ残党であろう。
新たな御代は我が国が
健全なる愛国心を育み、
強く美しく誇り高く
羽ばたくと信じてやまない。


同時に。
団塊の世代が軒並み
後期高齢者入りする
時代でもある。
ったく。
いつの世もクッソ迷惑な
世代であることよ。
ともあれ。
新陳代謝は否応なく
進行するのさ。
日本の未来に大いなる幸あれ。


しっかし。
うかうかしてる間に
もう5月ではないか。
誕生日の2日後には
今年早くも3回目の名古屋。
我ながらよくもまあ
飽きずに繰り返し行くものよ。
もうちょい、
ってか。
うーんと若かったら
移住したかもしれんが。
複数の医療機関
通う身としては、
長年にわたり親しんだ
ドクターたちと別れて
新天地でイチから
ラポール形成に費やす
エネルギーはもはやない。
生まれ育った横浜で
細々新陳代謝しつづけまっす。

新御代考察

奉祝・天皇陛下御即位。
令和元年初日は
外出途上に思い立って
氏神様を参拝した。
雨の予報にもかかわらず、
陽射しの中、
風にハタハタはためく奉祝の幟。
いんやあ。
お参りしてよかった。
こんな機会、
二度とないもんね。


昭和から平成への
移り変わりとくらべて
祝賀ムードあふれる今回。
ハロウィンでは苦々しく思う
渋谷や道頓堀の
盛り上がりも
微笑ましく感じてしまう。
明治神宮では
御朱印に9時間待ちとやら。
行列大嫌いの
不肖キツネには
想像もできんが、
まぁイイんじゃね?


ただ。
御朱印集めを
スタンプラリーと
勘違いしてる輩は
現世御利益目当てオンリーで
パワスポ巡りをする
チープなスピ系と
層が重なってるよな。
ワシ?
一切、集めません。
以前、熊野で求めた
御朱印帳は思うところあり、
後に処分した。


令和の御代が
始まったばかりというのに、
早くも「次」を噂する
風潮は嘆かわしいが、
天皇は男子でなければならない。
女性差別?
とんでもない。
スメラミコトとは
天皇霊というミームの媒体であり、
個人としての天皇の肉体は
代々役目を受け継ぐ
「乗り物」なのだ。
大嘗祭における儀式、
真床御衾(まどこのおぶすま)で
天皇(男子)は
祖霊神アマテラス(女神)と
床を共にすることにより
天皇霊を体内に取り込むのである。


皇太子妃の第一ティアラを
紀子様が着用したことに
文句をつける
向きもあるようだが、
順番的には妥当であり、
むしろ雅子様
着用しなくなった時期と
悠仁様の御生誕とを
考えあわせてみるとよい。


だからといって。
秋篠宮家を全肯定してる
ワケではない。
皇室の子孫が学習院以外、
それもキリスト教
学校に行くなんざ、
本来許されては
ならんことでしょう。
大嘗祭簡素化プレハブ発言なんて、
御自分の際ならまだしも、
兄上に注文つけることじゃ
ござんせんよ。


ともあれ。
令和の御代が
たいらけく
うるわしく
つつがなく
いくひさしく
続きますよう。
弥栄。